日本の古典芸能

文楽

「文楽(ぶんらく)」とは、「浄瑠璃(じょうるり)」という語り芸に合わせ人形が動く人形劇「人形浄瑠璃」の中で、 大阪で演じ続けられて来たものをいいます。3人の人形遣(つか)いが一つの人形をあやつり、舞台向って右手にある「床(ゆか)」では、 三味線(しゃみせん)に合わせ、語り手である「大夫(たゆう)」が浄瑠璃を語ります。

大阪の人形浄瑠璃が飛躍的に発達したのは、江戸時代中期の元禄期<1688―1704>。 この時代に活躍した近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)と竹本義太夫(たけもとぎだゆう)が手をつなぎ、 現在の文楽につながる劇的で芸術性の高い芸能に仕立て上げました。 そのため、アマチュアの民俗芸能として受け継がれている全国各地の他の人形浄瑠璃と違い、 プロの芸能として高度な音楽・劇作・人形の操作技術を有します。世界でも最もレベルの高い人形劇といっても過言ではありません。

大阪の人形浄瑠璃が「文楽」と呼ばれるようになったのは、それまでいくつかあった大阪の人形浄瑠璃の小屋が、 大正時代<1912―26>には文楽座だけになったため、いつのまにか「大阪の人形浄瑠璃=文楽」ということになりました。 最近では、「人形浄瑠璃」という言葉が忘れ去られ、広く人形浄瑠璃一般を「文楽」と呼ぶようになって来ています。

2003年に「人形浄瑠璃文楽」として「人類の口承及び無形遺産の傑作(世界無形遺産)」に宣言されました。 そして2008年には「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に、能楽、歌舞伎とともに登録されました。

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歌舞伎

「演技や音楽はもちろんのこと、舞台美術や衣裳にいたるまで、洗練された“様式美”に満ちあふれているのが「歌舞伎(かぶき)」です。 江戸時代に大きく花開いた町人文化の中で育まれた歌舞伎は、敏感に時代の流れをつかみながら、 いつまでも新しい試みに挑戦し続ける“永遠に未完成”の芸能でもあります。新しい試みのいくつかが次の時代に受け継がれて行き、 それが年月を経て定着して行きます。それが約300年あまりの歴史ある古典芸能でありながらも、芸能としての鮮度を保ち続けている秘けつです。

初期の歌舞伎は女性が演じていましたが、現在はすべて男性。男役の役者は「立役(たちやく)」、女役の役者は「女形・女方(おんながた)」と呼ばれます。 立役には、専門の役者もいれば、女形を兼ねる役者もいます。

歌舞伎の演目は、「芝居(しばい)」と「舞踊(ぶよう)・舞踊劇」の2本柱。現在では、芝居2本の間に、舞踊・舞踊劇が1本入るプログラムが一般的です。 舞踊はもちろん芝居にも、三味線(しゃみせん)を中心とした伴奏で、長唄(ながうた)あるいは義太夫(ぎだゆう)をはじめとした語り物などが入り、華やかな舞台がくりひろげられます。

歌舞伎は、2005年に能楽(のうがく)、人形浄瑠璃文楽(にんぎょうじょうるりぶんらく)に続き、「人類の口承及び無形遺産の傑作(世界無形遺産)」に宣言されました。 このことは、歌舞伎が能・文楽からも作品を移入し、発展をとげてきたことを物語っています。 そして2008年には「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に、能楽、文楽とともに登録されました。

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琉球芸能

沖縄は、明治12年<1879>に沖縄県が設置されるまで、琉球(りゅうきゅう)国として独自の文化を作り上げていました。それを受け継いでいるのが「琉球舞踊」や「組踊」などの琉球芸能です。

琉球舞踊

琉球舞踊は、祭祀の際に踊られた舞踊がもとになっていると言われています。それが歴史の流れの中で、他の芸能の影響も受けながら発展し、琉球王朝時代に冊封使(中国からの使者)を歓迎する宮廷舞踊として大成しました。この琉球王朝時代から伝わる舞踊を「古典舞踊」と呼んでいます。古典舞踊は老人・老女による祝儀舞踊の「老人踊」、元服前の少年姿で瑞々しく踊る「若衆踊」、成人男性の姿で力強く爽やかに踊る「二才踊」、華やかな紅型を身に付け艶やかに踊る「女踊」、美女と醜女が対になって踊る「打組踊」の5種類に分けられます。

琉球舞踊はその後も発展を続け、明治以降に、古典舞踊を基本とし、庶民の風俗や、民謡などを取り入れて作られた大衆的な「雑踊(ぞうおどり)」、 主に太平洋戦争後に発表され、芸術志向の強い作品が多い「創作舞踊」が作られ、レパートリーを増やしています。

音楽の中心になっているのは沖縄独自の楽器「三線(さんしん)」。これは中国の三絃(さんげん)を改良して作られたもので、本土の三味線(しゃみせん)のもとになった楽器でもあります。 交易国家・琉球王国が、文化の中継基地でもあったことの象徴です。三線の演奏者は、歌も歌うため歌三線とも呼ばれています。この歌三線を中心に、箏、笛、胡弓、太鼓を加えた音楽を伴奏として、琉球舞踊は踊られています。

沖縄では、芸能が生活に根づいており、見るというより、自分でするものという感覚が強い。 街には「琉舞道場」などと書かれた教室の看板があちらこちらに掲げられ、冠婚葬祭では、三線を弾いたり、舞踊を披露する人も多いです。琉球舞踊はもともと流派はありませんでした。戦後に流派や会派、家元制度が作られるようになり、現在では日本舞踊のように、多くの流派が存在し、各流派により、子弟の養成が行われています。また、沖縄県立芸術大学では、流派、会派の枠組みを超えて、実技や理論が学べるシステムになっています。

組踊

組踊は、琉球舞踊と同じく、琉球王朝時代に冊封使(中国からの使者)を歓迎するために創始された歌舞劇です。琉球国の芸能を監督する踊奉行であった玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)が、琉球古来の芸能に能をはじめ日本・中国などの芸能の要素を取り入れて創作し、1719年、冊封歓迎の重陽の宴の際に「二童敵討」と「鐘魔事(執心鐘入)」が初めて演じられました。
組踊は、「唱え」と呼ばれるせりふ、琉球舞踊の型が基礎となる「所作」、地謡の演奏する「音楽」によって構成され、紅型など琉球独自の衣裳を身に着け演じられます。

組踊の音楽は、琉球舞踊と同じく歌三線をはじめ、箏、笛、胡弓、太鼓によって演奏されます。舞踊と組踊で共通する曲が用いられることもありますが、歌われる歌詞は、作品の内容に合わせたものになっています。

作品は、琉球の民話や日本・中国の故事を題材とし、「忠孝」をテーマとしているものが多いです。玉城朝薫が創作した5作品は、能の影響を大きく受けていることが特徴で、「朝薫の五番」と称され、組踊の最も代表的な演目として現在でも上演されています。玉城朝薫以外にも、平敷屋朝敏(へしきやちょうびん)、田里朝直(たさとちょうちょく)などの作者がおり、現在では約30作品が、伝統的な演目として上演されているほか、新たに創作された新作組踊も上演されています。

雅楽

「雅楽(ががく)」とは、平安時代<784―1185>中期に体系化された日本最古の音楽と舞(まい)です。一口に雅楽といっても、実は非常に幅が広い。 多くの人が雅楽として思い浮かべるのは、その一部にしか過ぎない「唐楽(とうがく)」と「高麗楽(こまがく)」です。 「唐楽」は中国など大陸から、「高麗楽」は朝鮮半島などから伝来した音楽を平安時代の貴族が大幅に作り替えたもので、内容的には日本独自の音楽といっても過言ではありません。

雅楽には、唐楽・高麗楽のほか、あまり知られていませんが、宮中(きゅうちゅう)の神楽である「御神楽(みかぐら)」、「久米舞(くめまい)」「東遊(あずまあそび)」「倭舞(やまとまい)」など古来から日本各地に存在した歌舞の「国風歌舞(くにぶりのうたまい)」、平安貴族が生み出した「朗詠(ろうえい)」「催馬楽(さいばら)」などの歌謡の「歌物(うたもの)」もふくまれます。

形式としては、音楽だけを演奏するものを「管絃(かんげん)」、音楽に舞がついたものを「舞楽(ぶがく)」といいます。舞楽には、舞楽面をつけて舞う曲もあります。

本来、「雅楽」という言葉は、儒教(じゅきょう)思想に基づき中国の宮廷で祭祀の時に演奏されていた音楽のことを指しました。 「礼」(社会の秩序を守る規範)と「楽」(音楽)は関連があり、この2つが正しく行われれば、国も安泰であるという、孔子(こうし)が唱えた「礼楽思想」に基づきます。 この思想は、日本のほか朝鮮半島、林邑(りんゆう-現在のベトナム)、琉球(りゅうきゅう-現在の沖縄)など周辺諸国にも伝わりました。

中国の雅楽は、大勢の人が登場して野外で行われていました。 中国では継承されていませんが、「世界無形遺産」に指定されている韓国の「宗廟(そうびょう)先祖のための儀礼及び祭礼音楽(宗廟祭礼楽)」に、その面影を見ることができます。

日本には「雅楽」という言葉だけが伝わり、中身は伝わりませんでした。 日本に雅楽としてもたらされたのは、実は「宴楽・燕楽(えんがく)(燕楽)」と呼ばれていた宮廷の娯楽の音楽だったと考えられています。

雅楽は、長く宮中や神社・寺院での儀式の中で受け継がれて来ましたが、最近では芸術的にも注目されており、コンサートホールなどでも公演されています。

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声明

「大曼荼羅供」

仏教儀式の中で唱えられる経典(きょうてん)に旋律がついた無伴奏の声楽が「声明(しょうみょう)」。キリスト教における聖歌と同じと考えるとわかりやすいかもしれません 。声明は仏教・経典とともにインドで生まれ、日本へいつ伝わったかは定かでありませんが、原型となるものは6世紀半ばに仏教が伝来したと同時に大陸から伝わったと考えられます。 のちの謡曲(ようきょく)、浄瑠璃(じょうるり)などに影響を与え、“日本の声楽の原点”ともいわれます。

中国では、古代インドの言語サンスクリット(梵語)で書かれた経典を、自国の言葉(漢語)や旋律に変えたものを「梵唄(ぼんばい)」と呼びました。 それが伝わった韓国やチベット、日本でも梵唄といいましたが、日本では中世以降、声明というようになりました。

お寺には毎日のお勤めから年中行事として行われる法会(ほうえ)までさまざまな仏教儀式があり、その中で唱えながら受け継がれています。 法会の中でも、僧侶たちが行列を組み、声明を唱えながら境内を進む形式は、荘厳で見ごたえがあります。一方、葬式や法事で唱えられるお経も、身近な声明の一種です。

声明の歌詞ともいえる経典には、梵讃(サンスクリット)、漢讃(中国語)、和讃(日本語)の3種類があります。 声明は無伴奏が基本ですが、部分的に木魚(もくぎょ)や鉦(かね)などの仏教楽器(法具ともいう)を鳴らします。 中国・韓国・チベットなどではその演奏がにぎやかで、韓国では、梵唄に合わせて仏教舞踊を舞います。

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日本舞踊

「舞踊」という言葉は、意外と新しく、近代になって「舞(まい)」と「踊(おどり)」という、本来は別々な動きを表す言葉を合体させて作られました。 舞は摺り足による平行移動と旋回運動を主とします。踊は跳躍運動が中心で動きに制約が少なくなっています。

「日本舞踊」でいう舞は、おもに京・大阪など上方(かみがた)を中心に座敷舞から発達した「上方舞(地唄舞(じうたまい))」、 踊は歌舞伎から生まれた「歌舞伎舞踊」の流れを汲むものをさします。沖縄の琉球(りゅうきゅう)舞踊や全国各地に伝わるさまざまな民俗芸能の舞や踊はふくまれません。

同じ曲でも、舞踊家が踊る場合は「日本舞踊」、役者が歌舞伎の興行の枠内で踊る場合は「歌舞伎舞踊」と呼ばれたりします。

日本舞踊の流派は「舞踊家の数だけある」といわれるほど多く、流派の規模はまちまちです。家元(いえもと)のほかに、宗家(そうけ)が別にいる流派もあります。 家元が亡くなると、有力な弟子たちがそれぞれに分派して家元を名乗る例もあります。弟子には花街の芸妓(げいぎ)のほか、趣味として習う一般人も多いです。

日本舞踊の伴奏音楽は、いずれも三味線(しゃみせん)が中心で、長唄(ながうた)、地唄(地歌)などの「うた物」と、 河東節(かとうぶし)、義太夫(ぎだゆう)、常磐津(ときわづ)、富本(とみもと)、清元(きよもと)などの「語り物」に分けられます。

「上方舞」は、地唄舞の別名もあるように、三味線を弾きながらうたう地唄が伴奏音楽。

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神楽

日本人なら誰でも名前は知っているのに、よく実態が知られていないのが「神楽(かぐら)」です。 その名の通り神楽は、神さまのための芸能で、神事(しんじ)として舞と音楽が演じられます。 大きく分けて、宮中(きゅうちゅう)で「雅楽」の一環として演奏される「御神楽(みかぐら)」と、民間に伝わる「神楽」があります。ここでは民間の神楽を取り上げます。

神楽は、全国各地いたるところにありますが、その中身はさまざま。いつ頃から始まったのか、歴史的経過がはっきりしないものも多い。 神楽は、人々が神を迎える場所である「神座(かむくら)」を浄めるための音楽であり、神をもてなすための音楽です。神はどのような芸能でも喜ぶとされます。 従って極端な言い方をすれば、神座で行われる芸能をすべて神楽ということになります。だから、多様な神楽があっても不思議ではありません。

神楽は、神に仕える巫女(みこ)が舞う「巫女神楽」、国生み神話にのっとった劇的な構成の「出雲流神楽」、 神座を浄めたり神に捧げるための湯を沸かす釜のまわりで舞う「伊勢流神楽」、神が宿った獅子頭(ししがしら)をつけて舞い悪霊を追い払う「獅子神楽」に大別されます。

最も一般的なのは、巫女神楽と出雲流神楽です。巫女神楽は全国各地の神社でひろく行われています。 また、出雲流神楽には、島根県の「石見(いわみ)神楽」、岡山県の「備中(びっちゅう)神楽」、宮崎県の「高千穂(たかちほ)神楽」、 東京を中心とした「江戸里神楽」など全国的に知られた神楽も多いです。

神楽で用いられる楽器は、笛、太鼓、締太鼓(しめだいこ)、銅拍子(どうびょうし-シンバル風の打楽器)など。笛と太鼓の掛け合いで、曲はテンポよく進みます。

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アイヌの歌と舞踊

アイヌ民族は、日本の先住民族であり、150年ほど前までは、北海道、千島列島、樺太の南半分で暮らしていました。 アイヌの人々は、その大自然との暮らしの中で、動物や植物、雷や病気など自然のなかにあるものをカムイ(神)として考え、 そのたくさんのカムイとの関わりの中から、歌や踊りが生まれてきたと考えられています。

歌は、カムイへの祈りや願い、まじないなどから発生した「祭り歌」、人々が集まったときに遊びで歌う「すわり歌」や「即興歌」、「子守唄」などの種類があります。 踊りには、動物や植物などの仕草の物真似の踊り、労働の踊りや、ゲームが入った踊りなどがあります。

楽器は、「ムックリ」と呼ばれる口琴楽器が代表的。また、樺太アイヌに伝わる弦楽器「トンコリ」も伝承されています。

現在では、このような伝統芸能の伝承活動が活発に行われるようになり、道内で17の保存会が伝承している伝統舞踊が国の「重要無形民俗文化財」に指定されています。 同時に、伝統を軸に新しい表現をするアイヌ民族出身のアーティストも美術や音楽などの分野で活躍しています。