スタッフブログ

2020年06月18日 (木) 能楽関連

復刻「能楽質問箱」第13回~第18回をお届けします

5月3日からスタートしました復刻「能楽質問箱」。
まだまだ続きます。引き続きどうぞお楽しみください。

 

Q13.一昨年、横浜能楽堂で開催された講座「能の匠たち」を受講(※)して、扇、能面、楽器などに興味をもちました。これらのものを実際に手に入れるとすれば、どうすれば良いのでしょうか?
※1997(平成9)年3月8日、9日、4月27日、5月3日、6月15日、7月13日、8月31日に開催。

 

A13.扇、楽器は、それぞれに専門店がありますが、能面は能面師が打つもので、能楽関係の店で購入することもできますが、ほとんどの場合本人と直接取引することになります。
講座「能の匠たち」で登場したのは扇が京都の十松屋福井扇舗、楽器は浅草にある宮本卯之助商店です。
また、謡本、仕舞の型付け本や楽器の手付本、指付本、唱歌集などは流派ごとに、それぞれの専門書店で扱っています。謡本に絞って紹介すると、観世流、金剛流は檜書店、金春流、宝生流はわんや書店、喜多流、観世流梅若会、観世流九皐会は能楽書林です。
ちなみに講座「能の匠たち」が本になりました。横浜能楽堂の編集で、小学館からサライ ショトル ライブラリー『能の匠たち-その技と名品-』(税別千五百円)として発売されました。書店、横浜能楽堂などで扱っていますので、そちらも参考にしてください。
(季刊『橋がかり』第5号(平成11年1月)掲載)

 

・・・ひと言
回答で紹介しました専門店はいずれのお店も現在も営業を継続していらっしゃいます。ホームページを拝見しましたところ、伝統と革新を追求する企業姿勢やブランドストーリーが感じられました。
詳しくはこちら

 十松屋福井扇舗
 宮本卯之助商店 
 檜書店 
 わんや書店 
 能楽書林 
(はぜの木)

 

Q14.能は、それ以前に成立した文学や説話を素材に作られたものが多いようですが、その代表的なものを教えてください。

 

A14.いま演じられている能の多くが作られた室町時代の人間から見て、平安時代を舞台にした文学はすでに古典でした。教養人の間では、馴染みのあった文学や説話を素材にした能が作られたのは自然の流れと言えるでしょう。その中には、原拠を忠実に能にしたものもあれば、骨格だけを残しているものもあります。
文学史上で高い評価を受け、現在でも読み継がれている『源氏物語』を始めとして軍記物の『平家物語』や物語文学の傑作『伊勢物語』などを素材にしたものが複数あります。
代表的なものとしては『源氏物語』では「葵上」「野宮」「玉葛(玉鬘)」「半蔀」など、『平家物語』では「敦盛」「大原御幸(小原御幸)」「実盛」「屋島(八島)」「頼政」など、『伊勢物語』では「井筒」「杜若」などが挙げられます。
(季刊『橋がかり』第5号(平成11年1月)掲載)

 

Q15.昨年、サントリーホールで行われた新作能「空海」を見ました(※1)。初めて新作能を見たのですが、通常の能とは違った新鮮さを感じました。これまで作られた新作能にはどのようなものがあるのでしようか?

 

A15.最近のものとしては、ご質問の中に登場した梅若六郎(※2)がシテの「空海」(作/堂本正樹)(※1)、同じシテで一昨年に演じられた「伽羅沙」(作/山本東次郎) (※3)、国立能楽堂の研究公演用に作られた「晶子 みだれ髪」(作/馬場あき子) (※4)などがあります。
過去を振り返ると、新作能の上演に最も熱心だったのはシテ方喜多流の先代(十五世)宗家である喜多実。歌人の土岐善麿の作で演じた新作能は「顕如」(1942年)を手始めに「夢殿」「復活」など十数曲にも及びます。
いずれにしても、能の新たな曲目として定着したというよりも、演出などに工夫を加えることにより能の世界に活力を与えたと言った方が適切な評価かもしれないでしょう。
(季刊『橋がかり』第6号(平成11年4月)掲載)
※1 1998(平成10)年に初演。
※2 2009(平成21)年二世梅若玄祥へ改名。2018(平成30)年四世梅若実を襲名。
※3 1997(平成9)年に初演。
※4 1995(平成8)年に初演。

 

・・・ひと言
新作能とは明治以降に作られた曲だということです。さすがに能楽の約700年の歴史からすると約150年程度はまだ新作ということなのですね〜。
私は友人を誘って、昨年2019年2月に日仏交流160周年公演「伽羅沙 GARASHA」を鑑賞しました。シテは梅若紀彰さん(観世流)。この時には原作にはないのですが、駐日フランス大使のローラン・ピックさんが牧師役で出演されていました。紀彰さんの舞はとても優美でいつまでも終わらないで観ていたいと感じ、鑑賞後にはとても清々しい気持ちになったことを覚えています。(はぜの木)

 

Q16.能を見ていると鏡板の前に座っている二人がいますが、何のためにいるのでしょうか?

 

A16.「後見」という役割の人です。細かく言うと主になる人が「主(おも) 後見」で、それに従うのが「副後見」です。
「後見」は、一曲の総監督的役割なので、シテよりも上位の者が勤めます。またシテが病気などのため舞台上で倒れた時、そのままシテの代役を勤めるのが一番の役割です。
しかし、幸いな事にシテが舞台上で倒れることなどめったにありません。普段は、舞台上でシテの物着(装束の着替え)を手伝ったり、必要がなくなった物をどけたり舞台がスムーズに進むように様々な手助けをします。もっとも、舞台での働きをする役に「舞台働キ」や「物着(ものき)せ方(かた)」といった専門の役もあったのですが、今は後見方が兼ねているのです。そういう面だけ見ると、歌舞伎の黒子と同じような感じがしますが、黒子は、代役には立たないので、大きく違います。
「後見」と黒子の違いは、能が「武家の式楽」だったところから来るものでしょう。将軍や大名に愛された能は、その一方で大きなプレッシャーも受けていました。庶民相手の歌舞伎と違い、何があっても途中でやめられなかったのです。
狂言でも、能と同じように「後見」が付きますが、こちらは一人です。
(季刊『橋がかり』第6号(平成11年4月)掲載)

 

Q17.先日初めて最前列で狂言を見ました。その時気がついたのですが、狂言方の足袋はなぜ黄色いのでしょうか?

 

A17.狂言の足袋は古くは鹿革で、「印伝」という技法で作られていました。「印伝」は鹿革を燻製のように燻して黄色く染めたものです。現在の狂言方の足袋が黄色いのは、この「印伝」で作られていた時代の名残です。
狂言足袋の色は、正しくは薄茶で、色足袋ではなく縞足袋です。即ち白地に細い薄茶の縞を染めてあるので、黄色っぽい薄茶に見えるのです。
(季刊『橋がかり』第7号(平成11年7月)掲載)

 

Q18.能で一番出演者が多い曲は何でしょう?

 

A18. 舞台上に上がっている人すべてを出演者と考えた場合、一番多いのは「道成寺」です。「道成寺」は、番組に載るだけでシテ(白拍子、鬼女)、ワキ(道成寺の住僧)、ワキツレ(従僧)二人、アイ(能力)二人、地謡八人、笛、小鼓、大鼓、太鼓、後見三人、鐘を支える鐘後見五人の合計二十六人。さらに番組に載らない囃子方の後見四人と最初と最後に鐘を両脇から支えて登場する狂言働キ二人まで入れると三十二人にもなります。
役者の数だけで言えば、通常、観世流の「安宅」で、シテ(武蔵坊弁慶)、子方(源義経)、シテツレ(随行の郎党)九人、ワキ(富樫の某)、オモアイ(共の強力)、アドアイ(富樫の下人)の十四人が登場します。ただし、「鞍馬天狗」に小書(特殊演出)を付け大勢の天狗が登場する「天狗揃」にした上、前場の花見の場面で並ぶ子方の稚児の数を多くすれば、「安宅」を超えることは可能ではあります。
また狂言では、めったに演じられませんが「唐相撲(唐人相撲)」が最大で、三十人以上が舞台を埋め尽くします。
(季刊『橋がかり』第7号(平成11年7月)掲載)

 

第1回~第5回はこちら

第6回~第12回はこちら

2020年05月20日 (水) 能楽関連

復刻「能楽質問箱」第6回~第12回をお届けします

5月3日からスタートしました復刻「能楽質問箱」。
まだまだ続きますので、引き続きどうぞお楽しみください。

 

 

Q6.戦後間もなくのころから能を見ている者ですが、最近能楽堂へ行くと、おしゃべりをしたり、袋の中からあめ玉を取り出したりするなど、観能のマナーを知らない方が見受けられるようになり、とても残念です。正しい観能の仕方を教えてください。

 

A6.芸能の種類によっては、食べ物を食べたり、周りの人とワイワイやりながら楽しむ、というものもあるでしょうが、能はやはり静かな中で、出演者も、観客も舞台に集中できる状態で行うものです。
ご質問にもあるような、おしゃべりや見所への食べ物、飲み物の持ち込みはもちろん遠慮してください。帽子も特別な理由が無い限り、取った方が良いでしょう。
開演時間に遅れ、もう能が始まってしまっていた場合には、演能のじゃまにならないよう、タイミングを見計らって席に着きましょう。
拍手の仕方にも配慮しましょう。昔は「能は拍手をしないもの」と言われていましたが、最近ではどこの能楽堂でも皆拍手をしています。しかし、シテやワキが幕に入らないうちに拍手をするのは早過ぎます。入って幕が降りてからにしましょう。
(季刊『橋がかり』第2号(平成10年4月)掲載)

 

・・・ひと言
今から約20年前に寄せられた質問なのですが、まるでつい先日の質問のようです。正しい観能の仕方は、永遠のテーマかもしれません。(はぜの木)

 

Q7.昔、ある神社にある能舞台の床下を覗く機会があり、そこに瓶が埋められていたのを覚えています。横浜能楽堂本舞台の床下にも埋められているのでしょうか?

 

A7.確かに昔の能舞台の床下には、素焼きの瓶が埋められていました。これは、よく「響きをよくさせるため」と言われますが、正しくは「響きを丁度よく調整するため」のものです。能舞台は、ただ無闇に「響けばよい」というものではないからです。しかし、横浜能楽堂を始めとして最近の能舞台は、室内に建てられ床下もコンクリートで覆われているため、埋めることができません。そのため瓶の代わりに、構造を工夫するなどして音の調整をしています。
(季刊『橋がかり』第2号(平成10年4月)掲載)

 

・・・ひと言
施設点検の際に横浜能楽堂の本舞台の床下を覗いたことがあります。確かに瓶(甕)はなくコンクリートの基礎でした。ただし、単なる基礎ではなく音響設計をした基礎であるとのことでした。能楽堂によっては瓶を埋めてある床下もあり、施設見学のコースになっている所もあるようですね。(はぜの木)

 

Q8. 能舞台の正面にある「キザハシ」が使われるのは見たことがありません。いったい何のためにあるのでしょうか?

 

A8.確かに、今では「キザハシ」を使うことはありません。稀に演者が舞台下に落ちた時、ここから上がることがありますが、もちろんこれは本来の使い方ではありません。
では、何のためにあるのでしょうか。明治以前、能が「武家の式楽」だった時代には、演能が終わると観客である将軍や大名から能役者に対し褒美が与えられました。このころの能舞台は野外にあり、舞台と見所は白州を間に別棟にありました。そのため、褒美を渡す使いの者は「キザハシ」を使って白州から舞台に上がったのです。
しかし能楽が一般の人達が自由に見ることができる芸能になった現在では、こういった使われ方はされなくなり、形式的な存在として残っているに過ぎませんが、演者が舞台から正面を向いた時、「キザハシ」の両端が見えるので、目安にしています。
(季刊『橋がかり』第3号(平成10年7月)掲載)

 

・・・ひと言
能舞台が野外にあった頃の建築様式の名残の一つとして、個人的にはとても興味深いと感じます。橋掛りとともに本舞台には2つの「ハシ」があるわけですね・・・。(はぜの木)

 

Q9.これまで数回しか能を見たことがないのですが、先日見たものは誰も能面をつけていませんでした。そのような曲目は多いのでしょうか?

 

A9.質問にあったような能面をつけない曲目を「直面物(ひためんもの)」と言います。多くは主人公が現実の男性です。
代表的な曲としては、「安宅」「鉢木」「小督」「夜討曽我」「橋弁慶」などがあります。
しかし、面を付けていなくても「付けているつもりで演じなければならない」というのが能楽師の心得だと言われています。
(季刊『橋がかり』第3号(平成10年7月)掲載)

 

Q10.能の史跡めぐりをしたいのですが、手初めに神奈川県内から回ろうと思っています。どんなところがあるか教えてください。

 

A10.まず横浜市内では「放下僧」の舞台となった金沢区の瀬戸神社、同じく「六浦」の舞台となった称名寺があります。
「横浜と能」というと現在のイメージから想像すると掛け離れた感じがするかもしれませんが、金沢の辺りは鎌倉時代には対岸の房総半島などから船で物資が着く所。物資は金沢を経て陸路で鎌倉方面へと運ばれたのです。交易の要衝として賑わいをみせていたのです。
神奈川県内では、そのほかに鎌倉が「千手」「鉢木」「盛久」、富士の裾野が「小袖曽我」、真鶴が「七騎落」にゆかりがあります。
(季刊『橋がかり』第3号(平成10年7月)掲載)

 

Q11.先日、友人と二人で薪能に行って楽しい一時を過ごして来ました。薪能のルーツを教えてください。

 

A11.薪能のルーツは、二月に行われる奈良・興福寺の修二会に際し、興福寺、春日大社一帯で繰り広げられた「薪猿楽」と呼ばれる神事猿楽にあります。その始まりは平安中期と言われます。明治維新の混乱で途絶えてしまいましたが、近年復活し修二会とは関係なく五月に行われるようになりました。
現在、全国のあちらこちらで開催されている「薪能」は、「新猿楽」とはまったく別個のもので、多くは町おこしや観光を目的として企画されたもの。その先駆けとなったのは昭和二十五(一九四九)年に平安神宮で第一回が開かれた「京都薪能」です。その後、高度経済成長、バブル経済などの時代背景の中で増えて行きました。
能楽堂で見るのとは違いイベント的なので、初心者でも気軽に触れることができます。
神奈川県内で毎年行われている主な薪能は次の通りです(※)
5月 川崎大師薪能 6月 三浦漁火能 7月 横浜薪能 8月 平塚八幡宮神事能、よこすか薪能、寒川神社薪能、相模原薪能、あつぎ環境芸術薪能、遊行寺薪能 10月 鎌倉薪能、小田原城薪能、大山火祭薪能、大和薪能、さいわい’98ふれあい薪能、東海大学欅能など
(季刊『橋がかり』第4号(平成10年10月)掲載)
※1998(平成10)年10月年時点の情報です。最新情報をご確認ください。

 

Q12.能と歌舞伎は関係があると聞きます。どの様な関係なのか教えてください。

 

A12.歌舞伎は先行芸能である能の影響を受けています。しかし、技法的な面では地唄舞や沖縄の組踊の方が影響を色濃く受けています。歌舞伎は、能の曲目を取り入れ、それを換骨奪胎させ独自の世界を作り出していると言って良いでしょう。
能から取った歌舞伎の演目は鏡板の異名である松羽目にからめて「松羽目物」と呼ばれています。代表的なものとしては、能「道成寺」「安宅」、狂言「花子」からそれぞれとった「京鹿子娘道成寺」「勧進帳」「身替座禅」などがあります。
横浜能楽堂では、今年の十一月から来年の三月にかけて七回にわたり講座「能の周辺」を開催します(※)。一流の講師陣の話を前提に、地方能、組踊、里神楽、地唄舞、文楽などの実演を見るほか、講師と歌舞伎役者との対談なども行われます。
(季刊『橋がかり』第4号(平成10年10月)掲載)
※1998(平成10)年11月22日、12月6日、1999(平成11)年1月10日、23日、2月14日、3月7日、14日に開催しました。

 

第1回~第5回はこちら

2020年05月03日 (日) 能楽関連

復刻「能楽質問箱」第1回~第5回をお届けします。

1998(平成10)年から2000(平成12)年まで、横浜能楽堂で発行していた季刊『橋がかり』をご存知の方はもう少ないかもしれません。主催公演の「見どころ聴きどころ」、能楽について初心者向けに解説した「初めて知る能・狂言の世界」、能楽についての質問に答える「能楽質問箱」、能楽師による「エッセイ能楽とっておきの話」という構成で読み物的な要素満載の情報紙でした。

 

その中にありました読者からの質問に回答する「能楽質問箱」のコーナー。今読み返しみても普遍的な質問でいっぱいです。この度、復刻「能楽質問箱」としてお届けします。5月から約3ヶ月間、4日に1回くらいのペースでアップしていきますのでどうぞお楽しみください。

 

Q1.小鼓を習いたいのですが、どうしたら良いでしょうか。月謝は、どのくらいかかるのでしょうか?

 

A1.能楽堂やカルチャーセンターなどで教室を開講している場合もありますが、多くは個人けい古です。お近くの能楽堂などでお聞きになるとよいでしょう。月謝については、先生によって違うので一概には言えません。
(季刊『橋がかり』第1号(平成10年1月)掲載)

 

・・・ひと言
横浜能楽堂では2つの流儀(大倉流と観世流)の小鼓の先生が定期的に個人向けのお稽古教室を開催しています(現在は臨時休館中のためお休み中)。詳細は横浜能楽堂までお問い合わせくだいませ。(はぜの木)

 

Q2.どうして流儀は五つしかないのでしょうか?

 

A2.ご質問にある五つとは正確に言うとシテ方の流儀のことです。この中で観世(かんぜ)、金春(こんぱる)、宝生(ほうしょう)、金剛(こんごう)の四流の源流は、鎌倉・南北時代に遡り、それぞれ結崎(ゆうざき)座、円満井(えんまんい)座、外山(とび)座、坂戸(さかと)座と呼ばれていました。この四座に新興の喜多(きた)流が創設され「四座一流(よざいちりゅう)」の体制が確立したのが江戸初期です。江戸時代においては、能楽は「武家の式楽」として、保護と同時に統制が加えられていました。幕藩体制の崩壊と共に、能は「武家の式楽」としての地位を失う訳ですが、「四座一流」の体制は引き継がれます。
その後も、一時的に梅若(うめわか)会が観世流から独立して梅若流を名乗ったこともあったものの、現在に至るまでその流れは継承されて来ています。
(季刊『橋がかり』第1号(平成10年1月)掲載)

 

Q3.能楽師には、どうしたらなれるのでしょうか? だれでもなれるのでしょうか?

 

A3.だれでもなれます。しかし、それなりの心構えと技量が必要です。実は素人と玄人との差は、技量よりもむしろ心構えの如何にあるとさえ言えるでしょう。長年研さんを積みいくら技量が優れていても、玄人として能だけで生きていく心構えがなければなりません。能楽師の家の生まれでない人の場合、手順としては能楽師に入門し、玄人として修業することを許されるのが第一歩です。その後、厳しい修業を積み、社団法人(当時、現在は公益社団法人)能楽協会の会員となって初めて玄人として認められるのです。また、国立能楽堂では、なり手の少ないワキ方、囃子方、狂言方の養成も独自にしています。
(季刊『橋がかり』第1号(平成10年1月)掲載)

 

Q4.昨年の暮れから今年の始めにかけて開かれた「ワークショップみんなで謡う『高砂』」を受講しました(※)。その中で「返し」という言葉がでてきましたが、もう一度説明していただけないでしょうか?
※1997(平成9)年12月6日、7日、13日、23日、27日、1998(平成10)年1月18日、25日に開催。

 

A4.謡の中には、同じ文句を繰り返す指定がされている所があります。これを「返し」と言います。婚礼の時に祝言小謡(めでたい謡の一節を囃子なしで謡うもの)として謡う場合は、「返し」が「返す」「返る」などに通じるため「返し」をしません。例えば「高砂」の中の「四海波静にて。・・・」の部分は、本来最後の「君の恵は有り難や」を繰り返して謡うのですが、婚礼では一度で終わらせます。
(季刊『橋がかり』第2号(平成10年4月)掲載)

 

Q5.横浜能楽堂では、小・中学生を対象に「こども狂言ワークショップ」開いていますが、大人に狂言を教えてくれるところはないでしょうか?

 

A5.シテ方に比べ、狂言方の数は多くありません。従って知り合いなどを通じて紹介してもらう以外、習う機会はなかなかありません。広くだれでもが習える機会としては、カルチャーセンターなどがあります。NHK文化センターなどでは、大蔵流の教室が開かれています(※)。
(季刊『橋がかり』第2号(平成10年4月)掲載)

※1998(平成10)年4月時点の情報です。最新の情報をご確認ください。

 

・・・ひと言
横浜能楽堂では昨年度、初めておとな狂言ワークショップ(平日夜間全3回シリーズ)を開催しました。今年度以降の企画については未定ですが皆さまのご要望を伺いながら検討していきます。(はぜの木)

 

第6回~第12回はこちら

2020年04月23日 (木) 日々の出来事

臨時休館中に『橋がかり』について考えてみました。

能舞台では、三間四方の本舞台から揚げ幕の裏にある鏡の間へとつながる通路があります。舞台と鏡の間に掛け渡された橋という意味合いから橋掛り(橋ガカリ)と表記され呼ばれているようです。舞台の一部で、また演出上とても重要な役割を担っています。

能舞台を上から見た図

 

 

以前に横浜能楽堂の設計者の大江新先生から聞いた話なのですが、他の能楽堂の橋掛りには背面の壁までの隙間が少ない、またはまったくないケースがあるのですが、横浜能楽堂では壁が離れた位置にあり橋掛りの屋根がちゃんとあるので、もともと能舞台が屋外にあった時の雰囲気が感じられる橋掛りであるということでした。屋外にあった能舞台が近代以降能楽堂という建築の内部に取り込まれました。特に現代では様々な敷地・建築上の制約等があると思います。横浜能楽堂においても決してゆとりある敷地・建築条件ではなかったと思います。もしかしたら、舞台と鏡の間の掛け橋である橋掛りをとても重視したので屋外にあった頃の橋掛りのように壁から離したのでは・・・と妄想しています。

 

 

橋掛りといえば、横浜能楽堂催し物案内『橋がかり』をご存知でしょうか。横浜能楽堂の主催公演・ワークショップ・貸館情報などを掲載している毎月25日頃に定期的に発行している情報紙です。
臨時休館中の今月も発行準備中なのですが、新型コロナの影響を受けちょっと紙面がさみしくなっています。バックナンバーの『橋がかり』はどうだったかなと振り返ってみました。

横浜能楽堂開館当初は、『橋がかり』ではなく『横浜能楽堂ごよみ』という情報紙でした。平成8年11月~9年1月号からで主催公演・貸館情報などを掲載しています。平成12年1月~2月号まで続いていました。各号毎に季節感あふれる表紙のイラストが印象的です。平成8年11月~9年1月号は紅葉、平成8年12月~9年2月号は柊、平成9年2月~4月号は松竹梅。まさに「こよみ」をお届けしていたのですね。

 

 

この『横浜能楽堂ごよみ』とは別に、平成10年4月に季刊『橋がかり』の発行が始まります。こちらは、主催公演の「見どころ聴きどころ」、能楽について初心者向けに解説した「初めて知る能・狂言の世界」、能楽についての質問に答える「能楽質問箱」、能楽師による「エッセイ能楽とっておきの話」という構成で読み物的な要素満載です。平成12年1月号まで続いていました。
第一号の表紙はこんなデザインでした。ちなみに表紙題字は当時の横浜市長の高秀秀信さんです。

 

 

第1号の「能楽質問箱」の質問は以下の内容でした。
Q.小鼓を習いたいのですが、どうしたら良いでしょうか? 月謝は、どのくらいかかるのでしょうか?
Q.どうして流儀は五つしかないのでしょうか?
Q.能楽師にはどうしたらなれるのでしょうか。だれでもなれるのでしょうか?

 

今から20年以上前の質問ですが、今も通用する普遍的な質問でとても興味深いです。質問箱は、インターネットが普及する前の能楽堂と皆さまとの双方向コミュニケーションツールだったのだと感じました。内容は復刻「能楽質問箱」として別の機会に皆さまにご紹介できればと思います。
『横浜能楽堂ごよみ』と季刊『橋がかり』はその後、平成12年4月より現在の主催公演・ワークショップ・貸館情報などを掲載する構成の毎月25日頃発行する『橋がかり』となりました。表紙のデザインは、その年の年間スケジュールのデザインに合わせて決め、紙の色はさくら色、若草色、水色、レモン色の4色を月替わりに変えています。

 

今回の臨時休館中でなければ振り返ることがなかったかもしれない横浜能楽堂の『橋がかり』ヒストリーを知ることができました。
そして、能舞台における橋掛り同様、臨時休館中の今月も横浜能楽堂と皆さまの架け橋となるよう思いをこめて『橋がかり』をお届けさせていただきます。お家にいながら横浜能楽堂を思い出していただけましたら幸いです。

 

ダウンロードはこちら  横浜能楽堂『橋がかり』2020年5月~6月

 

はぜの木

2020年04月14日 (火) 能楽関連

名人が選んだ装束 / 常設展「はじめての能・狂言」装束コーナーのご紹介

横浜能楽堂の2階ロビーに展示スペースがあるのをご存知でしょうか? 普段は能楽に関する資料等の展示を行っており、施設見学や公演等でご来館のどなたでもご覧いただけます。

 

常設展「初めての能・狂言」では、謡本(うたいぼん/能の台本)や扇、楽器、装束などを展示しています。

 

このところ臨時休館で非公開となってしまっているのがもったいない!ということで、常設展「はじめての能・狂言」の装束コーナーをご紹介します。

 

実は、現在展示されている装束は、山口能装束研究所さんからお借りしている貴重なもので、江戸時代に作られた能装束を調査し復原したもの。絹糸の種類から染料、織り方まで、独自の研究により江戸時代のものに近い素材・技法で作られています。

 

いま展示されているのは、三領の厚板(あついた)。厚板とは、小袖の一種で、もとは地厚な綾織物を指していたというもの。能では、高貴な武士や荒神鬼畜などの役に使用します。大きめの力強い意匠のものが多いのが特徴です。

 

今回の三領には、ある共通点があります。それは、いずれも能「山姥」という同じ曲で使われたことがあるという点。能では、曲や役によって装束の種類や文様に決まりごとはありますが、実際に使用する装束の選択肢は多様で、演じ手は、自分が表現する舞台にふさわしい装束を、それぞれの感性で選びます。

 

能「山姥」に登場するシテは、山深くに住み、山から山を廻り歩くという異形の鬼女。恐ろしいというよりは、不思議になつかしくあたたかい、森羅万象の化身のような大きな存在。そんな「山姥」に、かつて名人とうたわれた三名の能楽師は、以下の装束を選んだのだそうです。(展示では、実際に装束をつけた舞台の写真もご紹介しています。)

 

「輪宝雲気稲妻杉木立文様」…観世榮夫(観世流|1927-2007)

 

「山形地鱗華紋文様」…三川泉(宝生流|1922-2016)

 

「青海波地丸龍雲気文様」…今井泰男(宝生流|1921-2015)

 

三領とも迫力ある大胆な文様・色遣いが印象的ですが、間近に接してみると、強い見た目とは裏腹に、なんともいえない温かみも感じられます。繊細で味わい深い、この豊かな質感を、ぜひ近くで生で体験していただきたいです。

 

こちらの装束は7月初旬まで展示の予定。臨時休館があけて、安心して外出できるようになった際は、ぜひお出かけください。

 

(とうふ)

トップにもどる