スタッフブログ

2020年08月29日 (土) 能楽関連

横浜能楽堂特別施設見学日「NOHGAKUDO for everyone~みんなで楽しむ能楽堂~」を開催しました。

7月31日(金)に「NOHGAKUDO for everyone~みんなで楽しむ能楽堂~」を開催しました。仕舞鑑賞、舞台裏見学、小鼓体験にのべ約140名のお客様にご参加いただきました。横浜能楽堂主催の施設見学は2月を最後に中止しており、約6か月ぶりの再開でした。事前予約制として、新型コロナウイルス感染症拡大防止の対策をとり、スタッフ一同、十分気を引き締めて開催しました。ご参加いただいた皆さま、本当にありがとうございました。
当日の様子をここでご紹介いたします。

 

◆仕舞鑑賞
梅若紀彰さん(観世流)に舞を、内藤幸雄さんと土田英貴さん、山中景晶さんに謡をお願いし、2回行いました。曲は1回目は「天鼓」、2回目は「野守」です。

 

1回目の仕舞「天鼓」


2回目の仕舞「野守」

 

2回目には横浜市内にある専門学校の留学生の団体様にご参加いただきました。実は今回の催しはオリンピック・パラリンピックの開催時期に合わせて外国人にもお楽しみいただけるよう英語の通訳を準備しておりました。海外からの外国人がいらっしゃらない中、国内在住の留学生にお越しいただけて本当に嬉しかったです。通訳の河本さんにもご活躍いただきました。

 

◆舞台裏見学
通常時は20名を1グループにご案内するのですが、今回は各回の定員を10名として、さらに2グループに分けて楽屋が密にならないように配慮し、合計4回行いました。
鏡の間では、地謡の皆さんが幕を揚げ、紀彰さんが橋がかりから出る実演を披露してくださいました。プロの能楽師による揚げ幕はとても手さばきがしなやかでした。

 

その後、楽屋、焙じ室、たまりを見学していただきました。私たち職員は実に約6か月ぶりでしたが、とても楽しくガイドさせていただきました。

 

◆小鼓体験
岡本はる奈さん(観世流)に講師をお願いし、小鼓のおはなしと簡単な体験を合計6回行いました。会場が密にならないように各回定員が4名ととても少なかったため、すぐに満席になってしまいました。予約ができなかった皆さま、申し訳ありません。年内にまた別の企画を検討中ですのでそちらにご参加いただければと思います。企画が決定しましたらお知らせしますね。

 

アンケートにご協力いただきありがとうございました。いただきましたいくつかのご回答をご紹介します。
・特に小鼓体験が楽しかったです。構造がシンプルでかえって難しいです。よい音を出したいと思いました。(70代女性)
・楽屋見学はシテの先生が説明して下さったのでリアリティーがあってとても良かったです。小鼓体験は貴重な体験ができて楽しかったです。他の楽器もあれば比較が出来てなお楽しくなると思います。(50代男性)
・無料でこうした催しを拝見できて、とてもありがたく嬉しかったです。(仕舞や舞台裏)  また是非実施して頂けたらと思います。(40代女性)

開催にあたっては、「横浜市文化施設における 新型コロナウイルス感染症対策ガイドライン」に沿って十分な安全対策を講じました。ご参加の皆さまのご協力により、無事に開催ができましたことに心より感謝申しあげます。
次回の施設見学は8月29日(土)横浜能楽堂施設見学<夏の日スペシャル>です。どうぞお楽しみに~。

 

PS.
当日の紀彰さんの紋付のお着物がとても涼し気で素敵でした。奥様にお伺いしましたところ織り方は紗で、仕舞の曲に合わせて「天鼓」では浅葱色、「野守」では強さを演出するため黒をお選びになったそうです。紀彰さんのお着物は、いつも私の秘かな楽しみとなっております・・・。

 

仕舞「天鼓」では浅葱色の紗


仕舞「野守」では黒の紗

 

はぜの木

2020年07月13日 (月) 能楽関連

復刻「能楽質問箱」第19回~第24回を届けします

5月3日からスタートしました復刻「能楽質問箱」。
もう少し続きます。最後までどうぞお付き合いください。

 

 

Q19.能の世界にも「人間国宝」がいると聞いていますが、何人位いるのでしょうか?

 

A19. 「人間国宝」とは、国の重要無形文化財保持者の中で「個人指定」されている人の通称です。能楽界では、川崎九淵らが1955(昭和30)年に指定されたのに始まり過去三十一人が指定されています(※1)。その内、現在でも活躍しているのは、シテ方で観世銕之亟(観世流)、松本恵雄(宝生流)、粟谷菊生(喜多流)、ワキ方で宝生閑(宝生流)、笛方で藤田大五郎(一噌流)、小鼓方で曽和博朗(幸流)、大鼓方で安福建雄(高安流)、太鼓方で金春惣右衛門(金春流)、狂言方で茂山千作(大蔵流)、野村万蔵(和泉流)の十人(※2)。
無形文化財保持者には「個人指定」のほかに「団体指定」があります。これは「能楽」を保持する団体として「社団法人(当時、現在は公益社団法人) 日本能楽会」という組織があり入会を認められた能楽師が自動的に指定を受けます。こちらにはプロとして認められている能楽師(日本能楽協会会員)の内、三十パーセントほどが指定されています。
※1 現在は45名。
※2 現在はシテ方で友枝昭世(喜多流)、梅若実(観世流)、野村四郎(観世流)、大槻文藏(観世流)、小鼓方で大倉源次郎(大倉流)、大鼓方で亀井忠雄(葛野流)、柿原崇志(高安流)、太鼓方で三島元太郎(金春流)、狂言方で野村萬(和泉流)、野村万作(和泉流)、山本東次郎(大蔵流)。
(季刊『橋がかり』第7号(平成11年7月)掲載)

 

Q20.外国人を能楽堂に案内したところ、「室内なのになぜ屋根がついているの」と質問され、答えられませんでした。なぜでしょうか?

 

A20. 一言で答えるとするなら「本来、能舞台は野外にあったものだからです」という事になるでしょう。初期の能舞台は仮設で、演能が終われば解体されていました。舞台の形も違っていたようで、現在の形が整ったのは安土桃山時代に入ってからです。現在知られている一番古い舞台は京都の西本願寺にある北舞台で、能舞台では唯一、国宝に指定されています。
それ以降の能舞台は、舞台自体は現在とほぼ同じですが、見所は白洲を挟んで別棟の建物にありました。現在の能舞台にも僅かではありますが白洲の名残が設けられています。
能舞台が現在のように室内に入ったのは1881(明治14)年、東京の芝公園内に建てられた能楽会能舞台が初めてです。
(季刊『橋がかり』第7号(平成11年7月)掲載)

 

・・・ひと言
横浜能楽堂の本舞台の屋根は寄棟造です。以前に設計者の大江新さんにお伺いした話では、能舞台の屋根の造として寄棟造は珍しいそうです。横浜能楽堂の2階席からですと寄棟造が確認できます。僅かに「むくり」と「そり」のあるとても優しい屋根の稜線だなあ〜、と私はいつも眺めています。(はぜの木)

 

Q21.横浜能楽堂の二階にある展示のコーナーで各流の謡本が並んでいるのを見たのですが、違いがわかりません。どこが違うのか教えてください。

 

A21.謡本というのは謡を稽古するための本であり、そのため一般的にはアイの台詞は省略されています。節を示すための言葉の横に「ゴマ節」といってゴマ形の節記号が記されていてそれを目安に謡います。
歴史的に見ると謡本は世阿弥の時代からあったようですが、桃山時代に入ると当時の文化状況を象徴するかのような豪華な装飾をほどこした「光悦本」が登場するなど様々な形態のものが生み出されるようになります。
しかし謡本が一挙に大衆化するのは出版技術が進歩を遂げ大量印刷が可能になった江戸時代に入ってからです。この時代においては一般庶民が能を見る機会と言えば、祝賀の時に江戸城の舞台を開放して見せた「町入能」や寺社に修理などを名目に許された「勧進能」など、めったにありませんでしたので、能の普及には謡本の存在が大きく関わっています。
婚礼で「高砂」の小謡が謡われるのが常識化するなど、庶民生活の中までも謡は深く浸透して行きました。
現在、観世流の系統は「宗家本(大成版)」」のほかに梅若会の「梅若本」、観世九皐会(観世喜之家)の「九皐会本」の合計三種類がありますが、他の流儀は一種類ずつです。
曲は五流すべてにあるものから一流にしかないものまであります。五流すべてにあるものを比べて見ると、ストーリーが違うものもあれば、少し言葉が違っていたり、節の取り方が違うものなど様々です。
各流の謡の謡い方を特徴的に記すと、観世流は現代風・華麗、金春流は最も古風でまろやか、宝生流は型通りの剛直さ、金剛流は雅で穏やか、喜多流は古武士的剛健型といったところです。
謡本の形態は、一番を一冊とした「一番綴」や五番を一冊にまとめた「五番綴」とよばれる筆文字の和綴本、百番づつを一編として二編からなり合計二百番が載っている活字体の洋本である「百番集」などがあります。能界では一般的に馴染みの曲かどうかを「遠い」「近い」といった言葉で表現しますが、「百番集」は最も「近い曲」百曲をまず一まとめにし、次に「近い曲」百曲をもう一まとめにしたものです。
謡は好き勝手な順番で稽古できるのではなく、順番は決められています。「婚礼が近いので取り敢えず『高砂』からやろう」などと思っても無理です。しかし、横浜能楽堂が年末から年始に掛けて開催しているワークショップ「みんなで謡う『高砂』」は「高砂」の小謡のみを稽古するもので、もちろん婚礼で謡う「四海波」の部分もしっかりと学ぶ事ができます(※)。
※1998(平成10)年は12月12日、23日、26日、27日、1999(平成11)年1月16日、24日、30日に開催。

(季刊『橋がかり』第8号(平成11年10月)掲載)

 

・・・ひと言
同じ曲であっても五流それぞれに演出方法が異なる謡本ですが、表紙のデザインや本文の書体も異なっています。展示コーナーでは、謡本同様、五流の扇も展示しています。こちらも五流によるデザインの違いをご確認ください。(はぜの木)

 

Q22.折角、地元の横浜に能楽堂が出来たので一度能を見に行こうと思っているのですが、毎月公演をやっているのでどれを見てよいのかわかりません。どんな曲から見たらよいのかアドバイスしてください。

 

A22. これには二通りの考え方があると思います。初めから楽しめるものを見るか、それとも初めはよく分からないが能らしい本格的なものから見るか・・・。
前者だとすれば、動きが派手な「土蜘蛛」や「船弁慶」、おなじみの天女伝説にもとづく「羽衣」、歌舞伎の「勧進帳」の基にもなった「安宅」といったところがお勧めです。後者だとすれば夫婦のこまやかな情愛が見所の「清経」、死別した子の悲劇に暮れる母の愛を描きだす「隅田川」、名作として定評のある「熊野」「松風」などがあります。
しかし何れにしろ能の楽しみ方に教科書はありません。装束を見て「美しい!」と思う人もいれば、囃子に魅せられる人もいる事でしょう。それぞれの人が自分なりの楽しみ方を探し出してみてはいかがでしょうか。

(季刊『橋がかり』第8号(平成11年10月)掲載)

 

Q23.能のシテ方の流儀は五つあるそうですが、いつごろからそうなったのでしょうか?

 

A23. 能は古くは「猿楽」と呼ばれ、「座」という組織を一つの単位として演じられていました。「座」の中には現在の役割分担で言うシテ、ワキ、囃子、狂言など、能を演じるにあたって必要な人々がすべて含まれていました。
現在の五流の内、観世、金春、宝生、金剛は、それぞれ「結崎座」、「円満井座」、「外山座」、「坂戸座」として大和(現在の奈良県)を拠点に活躍していました。これらの座を総称して「大和四座」と言います。大和のほかにも丹波(現在の京都府)、近江(現在の滋賀県)などの地方にも幾つもの座がありました。
「大和四座」以外の座は室町末期から桃山時代にかけ勢いを失っていき、丹波猿楽の中心だった「梅若座」を始めとした地方の座は「大和四座」の中に組み込まれて行きました。
江戸時代になると能は「武家の式楽(儀式の時の音楽)」として整備が進み、「大和四座」は、観世、金春、宝生、金剛として流儀の体裁を整えます。さらに金剛座から出た北七大夫長能が二代将軍・秀忠の寵愛を受け喜多流の創立を認められます。喜多が「座」ではなく「流」なのは座付き三役(ワキ方、囃子方、狂言方)を持たなかったためですが、これによって観世、金春、宝生、金剛と喜多を総称して「四座一流」と呼ばれる体制が確立します。
その中で観世は五座の筆頭として特別な地位を得ますが、将軍の好みにより各座の浮沈がありました。代表的なところでは、家康は観世と金春などの役者を贔屓し、秀忠、家光は喜多、綱吉は宝生を贔屓にしました。特に綱吉の宝生流贔屓は諸大名にも影響を与えます。加賀・前田家は、この時代に中心を金春から宝生に移し、後代に「加賀宝生」と呼ばれるようになる基礎を築きます。
「四座一流」の主だった役者は、いわゆる「幕府のお抱え」となり、そのほかの能役者でも加賀・前田家のような有力大名に召し抱えられる者もいました。時代により多少の変遷はありますが、いずれも武士的な身分を保証されていました。
しかし、その一方で自由に座を変える事はできませんでしたし、演じる事のできる曲の一覧を提出させられたり、演じ方を変えるのを自由にできなかったりするなど、一定の枠が嵌められる事になります。
謡が一般的な教養の一つとされるようになると、京都を中心とした上方では謡の教授を専門とする者が現れます。
明治維新で幕藩体制が崩壊したため、座は一様に「流」と呼ばれるようになり、自由に活動するようになりますが、その反面で保護を受ける事もなくなります。
五流は、芸風の違いから観世・宝生を「上掛り」、金春・金剛・喜多を「下掛り」にグループ分けする言い方もあります。
(季刊『橋がかり』第9号(平成12年1月)掲載)

 

Q24.作り物は、誰が作っているのでしょうか? また何でできているのでしょうか。

 

A24. 能は、様々なものを削ぎ落としてできた抽象的な芸能です。その意味で作り物は象徴的と言えます。代表的な作り物としては「熊野」などの車、「船弁慶」などの船、「紅葉狩」などの山などがあります。それ一曲にしか使わないものとしては「道成寺」の鐘があります。

ほとんどは竹を骨組みとして「ボウジ」と呼ばれる布などを巻いて作られます。骨組みなどはあらかじめ出来ていますが、組み立て、「ボウジ」を巻いたりする事などは演能の度ごとに行います。

昔は座の中に「作物師」という専門の人がいましたが、現在では竹屋さんなどに骨組みなどを作ってもらい、演能の当日にシテ方の人達が組み立てます。

(季刊『橋がかり』第9号(平成12年1月)掲載)

 

・・・ひと言
5月3日から約3ヶ月間、4日に1回くらいのペースでアップしていきました復刻「能楽質問箱」は本日で最終回です。スタートした5月時点では、政府の緊急事態宣言を受け、日本全国が5月6日まで不要不急の外出自粛中、横浜能楽堂では5月31日まで臨時休館中でした。行動制限の多い中、お家でつかの間の非日常の能楽の世界を味わっていただきたいとの思いから始めたものです。5月25日に緊急事態宣言も解除されましたが、私たちの生活様式は大きく変化しました。多くのお客様が横浜能楽堂で楽しいひとときをお過ごしいただけるということは本当にとても貴重なことですね。そのことを胸にしっかり刻んで、皆さまのご来館を心よりお待ちしております。(はぜの木)

 

第1回~第5回はこちら

第6回~第12回はこちら

第13回~第18回はこちら

2020年06月18日 (木) 能楽関連

復刻「能楽質問箱」第13回~第18回をお届けします

5月3日からスタートしました復刻「能楽質問箱」。
まだまだ続きます。引き続きどうぞお楽しみください。

 

Q13.一昨年、横浜能楽堂で開催された講座「能の匠たち」を受講(※)して、扇、能面、楽器などに興味をもちました。これらのものを実際に手に入れるとすれば、どうすれば良いのでしょうか?
※1997(平成9)年3月8日、9日、4月27日、5月3日、6月15日、7月13日、8月31日に開催。

 

A13.扇、楽器は、それぞれに専門店がありますが、能面は能面師が打つもので、能楽関係の店で購入することもできますが、ほとんどの場合本人と直接取引することになります。
講座「能の匠たち」で登場したのは扇が京都の十松屋福井扇舗、楽器は浅草にある宮本卯之助商店です。
また、謡本、仕舞の型付け本や楽器の手付本、指付本、唱歌集などは流派ごとに、それぞれの専門書店で扱っています。謡本に絞って紹介すると、観世流、金剛流は檜書店、金春流、宝生流はわんや書店、喜多流、観世流梅若会、観世流九皐会は能楽書林です。
ちなみに講座「能の匠たち」が本になりました。横浜能楽堂の編集で、小学館からサライ ショトル ライブラリー『能の匠たち-その技と名品-』(税別千五百円)として発売されました。書店、横浜能楽堂などで扱っていますので、そちらも参考にしてください。
(季刊『橋がかり』第5号(平成11年1月)掲載)

 

・・・ひと言
回答で紹介しました専門店はいずれのお店も現在も営業を継続していらっしゃいます。ホームページを拝見しましたところ、伝統と革新を追求する企業姿勢やブランドストーリーが感じられました。
詳しくはこちら

 十松屋福井扇舗
 宮本卯之助商店 
 檜書店 
 わんや書店 
 能楽書林 
(はぜの木)

 

Q14.能は、それ以前に成立した文学や説話を素材に作られたものが多いようですが、その代表的なものを教えてください。

 

A14.いま演じられている能の多くが作られた室町時代の人間から見て、平安時代を舞台にした文学はすでに古典でした。教養人の間では、馴染みのあった文学や説話を素材にした能が作られたのは自然の流れと言えるでしょう。その中には、原拠を忠実に能にしたものもあれば、骨格だけを残しているものもあります。
文学史上で高い評価を受け、現在でも読み継がれている『源氏物語』を始めとして軍記物の『平家物語』や物語文学の傑作『伊勢物語』などを素材にしたものが複数あります。
代表的なものとしては『源氏物語』では「葵上」「野宮」「玉葛(玉鬘)」「半蔀」など、『平家物語』では「敦盛」「大原御幸(小原御幸)」「実盛」「屋島(八島)」「頼政」など、『伊勢物語』では「井筒」「杜若」などが挙げられます。
(季刊『橋がかり』第5号(平成11年1月)掲載)

 

Q15.昨年、サントリーホールで行われた新作能「空海」を見ました(※1)。初めて新作能を見たのですが、通常の能とは違った新鮮さを感じました。これまで作られた新作能にはどのようなものがあるのでしようか?

 

A15.最近のものとしては、ご質問の中に登場した梅若六郎(※2)がシテの「空海」(作/堂本正樹)(※1)、同じシテで一昨年に演じられた「伽羅沙」(作/山本東次郎) (※3)、国立能楽堂の研究公演用に作られた「晶子 みだれ髪」(作/馬場あき子) (※4)などがあります。
過去を振り返ると、新作能の上演に最も熱心だったのはシテ方喜多流の先代(十五世)宗家である喜多実。歌人の土岐善麿の作で演じた新作能は「顕如」(1942年)を手始めに「夢殿」「復活」など十数曲にも及びます。
いずれにしても、能の新たな曲目として定着したというよりも、演出などに工夫を加えることにより能の世界に活力を与えたと言った方が適切な評価かもしれないでしょう。
(季刊『橋がかり』第6号(平成11年4月)掲載)
※1 1998(平成10)年に初演。
※2 2009(平成21)年二世梅若玄祥へ改名。2018(平成30)年四世梅若実を襲名。
※3 1997(平成9)年に初演。
※4 1995(平成8)年に初演。

 

・・・ひと言
新作能とは明治以降に作られた曲だということです。さすがに能楽の約700年の歴史からすると約150年程度はまだ新作ということなのですね〜。
私は友人を誘って、昨年2019年2月に日仏交流160周年公演「伽羅沙 GARASHA」を鑑賞しました。シテは梅若紀彰さん(観世流)。この時には原作にはないのですが、駐日フランス大使のローラン・ピックさんが牧師役で出演されていました。紀彰さんの舞はとても優美でいつまでも終わらないで観ていたいと感じ、鑑賞後にはとても清々しい気持ちになったことを覚えています。(はぜの木)

 

Q16.能を見ていると鏡板の前に座っている二人がいますが、何のためにいるのでしょうか?

 

A16.「後見」という役割の人です。細かく言うと主になる人が「主(おも) 後見」で、それに従うのが「副後見」です。
「後見」は、一曲の総監督的役割なので、シテよりも上位の者が勤めます。またシテが病気などのため舞台上で倒れた時、そのままシテの代役を勤めるのが一番の役割です。
しかし、幸いな事にシテが舞台上で倒れることなどめったにありません。普段は、舞台上でシテの物着(装束の着替え)を手伝ったり、必要がなくなった物をどけたり舞台がスムーズに進むように様々な手助けをします。もっとも、舞台での働きをする役に「舞台働キ」や「物着(ものき)せ方(かた)」といった専門の役もあったのですが、今は後見方が兼ねているのです。そういう面だけ見ると、歌舞伎の黒子と同じような感じがしますが、黒子は、代役には立たないので、大きく違います。
「後見」と黒子の違いは、能が「武家の式楽」だったところから来るものでしょう。将軍や大名に愛された能は、その一方で大きなプレッシャーも受けていました。庶民相手の歌舞伎と違い、何があっても途中でやめられなかったのです。
狂言でも、能と同じように「後見」が付きますが、こちらは一人です。
(季刊『橋がかり』第6号(平成11年4月)掲載)

 

Q17.先日初めて最前列で狂言を見ました。その時気がついたのですが、狂言方の足袋はなぜ黄色いのでしょうか?

 

A17.狂言の足袋は古くは鹿革で、「印伝」という技法で作られていました。「印伝」は鹿革を燻製のように燻して黄色く染めたものです。現在の狂言方の足袋が黄色いのは、この「印伝」で作られていた時代の名残です。
狂言足袋の色は、正しくは薄茶で、色足袋ではなく縞足袋です。即ち白地に細い薄茶の縞を染めてあるので、黄色っぽい薄茶に見えるのです。
(季刊『橋がかり』第7号(平成11年7月)掲載)

 

Q18.能で一番出演者が多い曲は何でしょう?

 

A18. 舞台上に上がっている人すべてを出演者と考えた場合、一番多いのは「道成寺」です。「道成寺」は、番組に載るだけでシテ(白拍子、鬼女)、ワキ(道成寺の住僧)、ワキツレ(従僧)二人、アイ(能力)二人、地謡八人、笛、小鼓、大鼓、太鼓、後見三人、鐘を支える鐘後見五人の合計二十六人。さらに番組に載らない囃子方の後見四人と最初と最後に鐘を両脇から支えて登場する狂言働キ二人まで入れると三十二人にもなります。
役者の数だけで言えば、通常、観世流の「安宅」で、シテ(武蔵坊弁慶)、子方(源義経)、シテツレ(随行の郎党)九人、ワキ(富樫の某)、オモアイ(共の強力)、アドアイ(富樫の下人)の十四人が登場します。ただし、「鞍馬天狗」に小書(特殊演出)を付け大勢の天狗が登場する「天狗揃」にした上、前場の花見の場面で並ぶ子方の稚児の数を多くすれば、「安宅」を超えることは可能ではあります。
また狂言では、めったに演じられませんが「唐相撲(唐人相撲)」が最大で、三十人以上が舞台を埋め尽くします。
(季刊『橋がかり』第7号(平成11年7月)掲載)

 

第1回~第5回はこちら

第6回~第12回はこちら

2020年05月20日 (水) 能楽関連

復刻「能楽質問箱」第6回~第12回をお届けします

5月3日からスタートしました復刻「能楽質問箱」。
まだまだ続きますので、引き続きどうぞお楽しみください。

 

 

Q6.戦後間もなくのころから能を見ている者ですが、最近能楽堂へ行くと、おしゃべりをしたり、袋の中からあめ玉を取り出したりするなど、観能のマナーを知らない方が見受けられるようになり、とても残念です。正しい観能の仕方を教えてください。

 

A6.芸能の種類によっては、食べ物を食べたり、周りの人とワイワイやりながら楽しむ、というものもあるでしょうが、能はやはり静かな中で、出演者も、観客も舞台に集中できる状態で行うものです。
ご質問にもあるような、おしゃべりや見所への食べ物、飲み物の持ち込みはもちろん遠慮してください。帽子も特別な理由が無い限り、取った方が良いでしょう。
開演時間に遅れ、もう能が始まってしまっていた場合には、演能のじゃまにならないよう、タイミングを見計らって席に着きましょう。
拍手の仕方にも配慮しましょう。昔は「能は拍手をしないもの」と言われていましたが、最近ではどこの能楽堂でも皆拍手をしています。しかし、シテやワキが幕に入らないうちに拍手をするのは早過ぎます。入って幕が降りてからにしましょう。
(季刊『橋がかり』第2号(平成10年4月)掲載)

 

・・・ひと言
今から約20年前に寄せられた質問なのですが、まるでつい先日の質問のようです。正しい観能の仕方は、永遠のテーマかもしれません。(はぜの木)

 

Q7.昔、ある神社にある能舞台の床下を覗く機会があり、そこに瓶が埋められていたのを覚えています。横浜能楽堂本舞台の床下にも埋められているのでしょうか?

 

A7.確かに昔の能舞台の床下には、素焼きの瓶が埋められていました。これは、よく「響きをよくさせるため」と言われますが、正しくは「響きを丁度よく調整するため」のものです。能舞台は、ただ無闇に「響けばよい」というものではないからです。しかし、横浜能楽堂を始めとして最近の能舞台は、室内に建てられ床下もコンクリートで覆われているため、埋めることができません。そのため瓶の代わりに、構造を工夫するなどして音の調整をしています。
(季刊『橋がかり』第2号(平成10年4月)掲載)

 

・・・ひと言
施設点検の際に横浜能楽堂の本舞台の床下を覗いたことがあります。確かに瓶(甕)はなくコンクリートの基礎でした。ただし、単なる基礎ではなく音響設計をした基礎であるとのことでした。能楽堂によっては瓶を埋めてある床下もあり、施設見学のコースになっている所もあるようですね。(はぜの木)

 

Q8. 能舞台の正面にある「キザハシ」が使われるのは見たことがありません。いったい何のためにあるのでしょうか?

 

A8.確かに、今では「キザハシ」を使うことはありません。稀に演者が舞台下に落ちた時、ここから上がることがありますが、もちろんこれは本来の使い方ではありません。
では、何のためにあるのでしょうか。明治以前、能が「武家の式楽」だった時代には、演能が終わると観客である将軍や大名から能役者に対し褒美が与えられました。このころの能舞台は野外にあり、舞台と見所は白州を間に別棟にありました。そのため、褒美を渡す使いの者は「キザハシ」を使って白州から舞台に上がったのです。
しかし能楽が一般の人達が自由に見ることができる芸能になった現在では、こういった使われ方はされなくなり、形式的な存在として残っているに過ぎませんが、演者が舞台から正面を向いた時、「キザハシ」の両端が見えるので、目安にしています。
(季刊『橋がかり』第3号(平成10年7月)掲載)

 

・・・ひと言
能舞台が野外にあった頃の建築様式の名残の一つとして、個人的にはとても興味深いと感じます。橋掛りとともに本舞台には2つの「ハシ」があるわけですね・・・。(はぜの木)

 

Q9.これまで数回しか能を見たことがないのですが、先日見たものは誰も能面をつけていませんでした。そのような曲目は多いのでしょうか?

 

A9.質問にあったような能面をつけない曲目を「直面物(ひためんもの)」と言います。多くは主人公が現実の男性です。
代表的な曲としては、「安宅」「鉢木」「小督」「夜討曽我」「橋弁慶」などがあります。
しかし、面を付けていなくても「付けているつもりで演じなければならない」というのが能楽師の心得だと言われています。
(季刊『橋がかり』第3号(平成10年7月)掲載)

 

Q10.能の史跡めぐりをしたいのですが、手初めに神奈川県内から回ろうと思っています。どんなところがあるか教えてください。

 

A10.まず横浜市内では「放下僧」の舞台となった金沢区の瀬戸神社、同じく「六浦」の舞台となった称名寺があります。
「横浜と能」というと現在のイメージから想像すると掛け離れた感じがするかもしれませんが、金沢の辺りは鎌倉時代には対岸の房総半島などから船で物資が着く所。物資は金沢を経て陸路で鎌倉方面へと運ばれたのです。交易の要衝として賑わいをみせていたのです。
神奈川県内では、そのほかに鎌倉が「千手」「鉢木」「盛久」、富士の裾野が「小袖曽我」、真鶴が「七騎落」にゆかりがあります。
(季刊『橋がかり』第3号(平成10年7月)掲載)

 

Q11.先日、友人と二人で薪能に行って楽しい一時を過ごして来ました。薪能のルーツを教えてください。

 

A11.薪能のルーツは、二月に行われる奈良・興福寺の修二会に際し、興福寺、春日大社一帯で繰り広げられた「薪猿楽」と呼ばれる神事猿楽にあります。その始まりは平安中期と言われます。明治維新の混乱で途絶えてしまいましたが、近年復活し修二会とは関係なく五月に行われるようになりました。
現在、全国のあちらこちらで開催されている「薪能」は、「新猿楽」とはまったく別個のもので、多くは町おこしや観光を目的として企画されたもの。その先駆けとなったのは昭和二十五(一九四九)年に平安神宮で第一回が開かれた「京都薪能」です。その後、高度経済成長、バブル経済などの時代背景の中で増えて行きました。
能楽堂で見るのとは違いイベント的なので、初心者でも気軽に触れることができます。
神奈川県内で毎年行われている主な薪能は次の通りです(※)
5月 川崎大師薪能 6月 三浦漁火能 7月 横浜薪能 8月 平塚八幡宮神事能、よこすか薪能、寒川神社薪能、相模原薪能、あつぎ環境芸術薪能、遊行寺薪能 10月 鎌倉薪能、小田原城薪能、大山火祭薪能、大和薪能、さいわい’98ふれあい薪能、東海大学欅能など
(季刊『橋がかり』第4号(平成10年10月)掲載)
※1998(平成10)年10月年時点の情報です。最新情報をご確認ください。

 

Q12.能と歌舞伎は関係があると聞きます。どの様な関係なのか教えてください。

 

A12.歌舞伎は先行芸能である能の影響を受けています。しかし、技法的な面では地唄舞や沖縄の組踊の方が影響を色濃く受けています。歌舞伎は、能の曲目を取り入れ、それを換骨奪胎させ独自の世界を作り出していると言って良いでしょう。
能から取った歌舞伎の演目は鏡板の異名である松羽目にからめて「松羽目物」と呼ばれています。代表的なものとしては、能「道成寺」「安宅」、狂言「花子」からそれぞれとった「京鹿子娘道成寺」「勧進帳」「身替座禅」などがあります。
横浜能楽堂では、今年の十一月から来年の三月にかけて七回にわたり講座「能の周辺」を開催します(※)。一流の講師陣の話を前提に、地方能、組踊、里神楽、地唄舞、文楽などの実演を見るほか、講師と歌舞伎役者との対談なども行われます。
(季刊『橋がかり』第4号(平成10年10月)掲載)
※1998(平成10)年11月22日、12月6日、1999(平成11)年1月10日、23日、2月14日、3月7日、14日に開催しました。

 

第1回~第5回はこちら

2020年05月03日 (日) 能楽関連

復刻「能楽質問箱」第1回~第5回をお届けします。

1998(平成10)年から2000(平成12)年まで、横浜能楽堂で発行していた季刊『橋がかり』をご存知の方はもう少ないかもしれません。主催公演の「見どころ聴きどころ」、能楽について初心者向けに解説した「初めて知る能・狂言の世界」、能楽についての質問に答える「能楽質問箱」、能楽師による「エッセイ能楽とっておきの話」という構成で読み物的な要素満載の情報紙でした。

 

その中にありました読者からの質問に回答する「能楽質問箱」のコーナー。今読み返しみても普遍的な質問でいっぱいです。この度、復刻「能楽質問箱」としてお届けします。5月から約3ヶ月間、4日に1回くらいのペースでアップしていきますのでどうぞお楽しみください。

 

Q1.小鼓を習いたいのですが、どうしたら良いでしょうか。月謝は、どのくらいかかるのでしょうか?

 

A1.能楽堂やカルチャーセンターなどで教室を開講している場合もありますが、多くは個人けい古です。お近くの能楽堂などでお聞きになるとよいでしょう。月謝については、先生によって違うので一概には言えません。
(季刊『橋がかり』第1号(平成10年1月)掲載)

 

・・・ひと言
横浜能楽堂では2つの流儀(大倉流と観世流)の小鼓の先生が定期的に個人向けのお稽古教室を開催しています(現在は臨時休館中のためお休み中)。詳細は横浜能楽堂までお問い合わせくだいませ。(はぜの木)

 

Q2.どうして流儀は五つしかないのでしょうか?

 

A2.ご質問にある五つとは正確に言うとシテ方の流儀のことです。この中で観世(かんぜ)、金春(こんぱる)、宝生(ほうしょう)、金剛(こんごう)の四流の源流は、鎌倉・南北時代に遡り、それぞれ結崎(ゆうざき)座、円満井(えんまんい)座、外山(とび)座、坂戸(さかと)座と呼ばれていました。この四座に新興の喜多(きた)流が創設され「四座一流(よざいちりゅう)」の体制が確立したのが江戸初期です。江戸時代においては、能楽は「武家の式楽」として、保護と同時に統制が加えられていました。幕藩体制の崩壊と共に、能は「武家の式楽」としての地位を失う訳ですが、「四座一流」の体制は引き継がれます。
その後も、一時的に梅若(うめわか)会が観世流から独立して梅若流を名乗ったこともあったものの、現在に至るまでその流れは継承されて来ています。
(季刊『橋がかり』第1号(平成10年1月)掲載)

 

Q3.能楽師には、どうしたらなれるのでしょうか? だれでもなれるのでしょうか?

 

A3.だれでもなれます。しかし、それなりの心構えと技量が必要です。実は素人と玄人との差は、技量よりもむしろ心構えの如何にあるとさえ言えるでしょう。長年研さんを積みいくら技量が優れていても、玄人として能だけで生きていく心構えがなければなりません。能楽師の家の生まれでない人の場合、手順としては能楽師に入門し、玄人として修業することを許されるのが第一歩です。その後、厳しい修業を積み、社団法人(当時、現在は公益社団法人)能楽協会の会員となって初めて玄人として認められるのです。また、国立能楽堂では、なり手の少ないワキ方、囃子方、狂言方の養成も独自にしています。
(季刊『橋がかり』第1号(平成10年1月)掲載)

 

Q4.昨年の暮れから今年の始めにかけて開かれた「ワークショップみんなで謡う『高砂』」を受講しました(※)。その中で「返し」という言葉がでてきましたが、もう一度説明していただけないでしょうか?
※1997(平成9)年12月6日、7日、13日、23日、27日、1998(平成10)年1月18日、25日に開催。

 

A4.謡の中には、同じ文句を繰り返す指定がされている所があります。これを「返し」と言います。婚礼の時に祝言小謡(めでたい謡の一節を囃子なしで謡うもの)として謡う場合は、「返し」が「返す」「返る」などに通じるため「返し」をしません。例えば「高砂」の中の「四海波静にて。・・・」の部分は、本来最後の「君の恵は有り難や」を繰り返して謡うのですが、婚礼では一度で終わらせます。
(季刊『橋がかり』第2号(平成10年4月)掲載)

 

Q5.横浜能楽堂では、小・中学生を対象に「こども狂言ワークショップ」開いていますが、大人に狂言を教えてくれるところはないでしょうか?

 

A5.シテ方に比べ、狂言方の数は多くありません。従って知り合いなどを通じて紹介してもらう以外、習う機会はなかなかありません。広くだれでもが習える機会としては、カルチャーセンターなどがあります。NHK文化センターなどでは、大蔵流の教室が開かれています(※)。
(季刊『橋がかり』第2号(平成10年4月)掲載)

※1998(平成10)年4月時点の情報です。最新の情報をご確認ください。

 

・・・ひと言
横浜能楽堂では昨年度、初めておとな狂言ワークショップ(平日夜間全3回シリーズ)を開催しました。今年度以降の企画については未定ですが皆さまのご要望を伺いながら検討していきます。(はぜの木)

 

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