2019年05月05日 (日) その他
狂言と古代ギリシャ喜劇その➀
横浜能楽堂では2019年3月から8月まで、ギリシャからのインターン、フィリポス・モスハトスさんを受け入れています。主催公演開催時はパンフレット配布などのお手伝いをしてくださっていますので、既に皆さんにお会いしているかもしれません。フィリポスさんはアテネ国立大学演劇学部の学生で、近代日本演劇の研究をしています。日本文化に興味を持ち、2014年から国立大学の言語学校で日本語の勉強を始めました。
フィリポスさんが来日以降に日本で観た演劇や、さまざまな文化について感じたこと、考えたことなどをこのブログで紹介してもらいます。なお、文章については本人が書いたものをそのまま掲載しています。とても積極的に日本語でインターンとして活躍してくれていますので、きっと8月頃にはもっと日本語が上手になっていると思います。8月までの連載ですが、どうぞお楽しみに!
横浜能楽堂
初めまして、こちらは横浜能楽堂の新しいインターン、フィリポスです。よろしくお願いします!日本文化経験するため、3月から㋇まで日本とヨーロパの演劇文化について、小さな記事を書くことをかんがえました。理由は二つ:一つは日本語を向上したかった。そして、二つの理由は、インターンシップ始まったから、色んな能と狂言見学しましたと、「やっぱり古代ギリシャ悲劇と喜劇の類似点が相違点と同じぐらい多いことね」と気が付いた。これらの記事を通して、私の考えを解読することを試みます、そしてそれらを読んでいる人々がその日本の対応関連で古代ギリシャとヨーロパの演劇文化について、もっと学ぶことをこの過程を通して望みます。
社会的側面
比較する前、喜劇と狂言の時代を考慮しなければなりません。500bcのアテネに、喜劇と悲劇は市民の趣味でした。「大ディオニスイア」と言う祭りに、全部の市民(2000人ぐらい)3月の終わりに集まると、朝日7時から夕日まで有名な詩人による演劇を見ることです。市の裕福な商人貧しい人のきっぷと俳優の費用を支払いました。名誉とみなされた。女や子供やそして外国人も見学することができた。なぜなら、演劇は教訓的な目的を念頭に置いていた。
喜劇の俳優はみんな男子(能楽と狂言の同じ)でも普通の市民でした。特別演劇かたはなかった。詩人は先生でしたと。毎年新しい俳優に喜劇とか悲劇の語りと歌い教えた。能楽と狂言比べたら確かに類似点と相違点があります。でも根源的に、ギリシャの喜劇は民族のため演技した。狂言は貴族の芸術。これに従って、狂言の演技方は今までも大体同じです。残念ですけど古代ギリシャの演技方と語り方と謡かた誰にもしらない。これに起因して、現在の演出家は自分のスタイルでその喜劇作ることができる。彼らが衣装と歌と演技も望むことをすることができます。ギリシャでは、全ての公演を通して、それぞれの監督は自分のビジョンと伝統を生み出しますが、日本では方向性の問題ではなく、形式の完成度の問題です。
内容の話:詩人と話題
古代ギリシャ喜劇の一番有名の詩人(実は古代時代残りの詩人)の名前はアリストパネスです。今まで、特に毎夏休み、彼らの戯曲演技されています。5世紀に生まれた、彼らは人生に94の戯曲を書いた、そのうちの11だけが救われている。最近のげき、「アカルナイの人々」425BCで行われで、最後のげき、「福の神」は388BCで行われた。彼の戯曲はギリシャの内戦の最中と終わった後に書かれ、都市国家間の平和を訴えながら、人々(政治家や将軍たちや)状況を飽きさせます。
古代時代から残り唯一の喜劇著者、例としてかれを使います。その人たった一人だけ西洋の喜劇の基礎を築きました。ロマンの喜劇、文芸復興の演劇、さえもシェイクスピアの喜劇、そのものの原因はアリストパネスです。皮肉と失礼も、何よりも面白くて丁寧言語で彼らの現実と戦争の根源的な原因と黒幕の不条理が表す。その失敬な言語は狂言と比べたら根源的のさです,でも言語より、舞台衣装。ギリシャのぎげきは三本柱の上に立ち上がります:合体、食べ物、言葉の遊び。
主人公は、だいたい普通と簡単な人です、平和だけが欲しいのひと。それは狂言と古代喜劇の根源的の差です。戦争があったけど、女、お酒、食べ物、となりの人の小さい喧嘩、そしてもちろんお祭りのこと、全てなくなりました。ですから喜劇にそんななくなったことは現れると、人が笑うけど、前の時をおぼえます。市民の芸術ですから、政治的とブレイになった。狂言は貴族の芸術、ですから冗談は楽しいけど政治的ではない。
これは、喜劇と狂言の一般的なイメージです。次は「その②」の記事には喜劇と狂言の部分もっと調べましょう!
-Φ.