スタッフブログ

2019年12月22日 (日) 日常

年の瀬に日本人のお掃除文化について考えてみました。

12月17日(火)に「ミニ箒作り体験と横浜能楽堂見学」を開催しました。ご参加いただきました皆さま、ありがとうございました。また講師をお引き受けくださいました中津箒 株式会社まちづくり山上の講師の皆さまもありがとうございました。

 

ミニ箒作り体験の様子

 

中津箒は神奈川県の中津村(現、愛川町)で明治時代に始まり、昭和20年代まで中津村の一大産業でしたが、昭和30年代以降には電気掃除機の普及による掃除スタイルの変化や市場の縮小などにより産業として一時衰退。その後、自家用中心となり技術は受け継がれてきたそうです。現在、株式会社まちづくり山上では、中津箒として箒文化の再興に取り組んでいます。

 

箒はよく目にする長箒以外にも形式が様々で、現代のライフスタイルにあわせて多様化しているようです。「ミニ箒作り体験と横浜能楽堂見学」では、パソコンのキーボードやリモコンのボタンまわりの掃除ができるミニ箒作りを体験していだたきました。ここで、私自身が日本人のお掃除文化についてちょっと考えてみたアレコレをご紹介します。

 

講師をお願いしました中津箒 株式会社まちづくり山上さんとの出会いは、愛川町にある箒博物館「市民蔵常右衛門」でミニ箒作り体験をしたことがきっかけです。箒博物館には、世界の箒が展示してあり、中津箒の展示販売もありました。展示販売用の箒は、手づくりならではの美しさがあり、同じものが一つもない個性が魅力的でした。試しに長箒で床を掃いてみましたところ、そのしなやかさにも驚きました。これはもう即買い!でした。

 

長箒とミニ箒

 

実際に自宅でお掃除をしてみましたところ、長くてしなやかな穂先のおかげで、フローリングワイパーやフローリングモップでは取りきれない細かなほこりが取れ、またクリーナーでは入り込めない高さの低い・奥の深い場所のほこりを掻きだせました。我が家の床は、最近のマンションによくある、畳やカーペットはなくフローリングのみなのですが、箒はまさにマンションにぴったりのお掃除道具だと思いました。また、箒で掃くときの手に感じるしなやかな感触や静かな音というものもとても心地よく感じました。箒博物館「市民蔵常右衛門」で出会うまで、フローリングのお掃除道具としてノーマークの箒でしたので、私にとってはお掃除革命でした。

 

箒で掃くという行為は汚れやほこりを取るということではありますが、どうやらそれだけではないようです。これは、講師の柳川さんがおっしゃっていたのですが、ささっと掃除をすると気持ちよく1日が始まる気分になるように、箒は日本人の気持ちによく似合っている、とのことです。また、曲がっていたり乱れていたらぬるま湯で洗って陰干しすればもとの姿に戻るように、箒は人の日々の姿の現れでもある、ということです。

 

箒をまたぐとバチが当たる、玄関に箒を吊るすと縁起が良い、など、昔から箒には神様が宿っていると考えられていたようです。掃除の機能性だけではない日本人の精神性のようなものが箒にはあるようですね。また、手に感じるしなやかな感触や心地よい音は日本人の感性にフィットしているのかもと感じました。もしかしたら、最新のサイクロンクリーナーやロボットクリーナーにも集塵効率だけではない、そんな日本人好みの感性スペックが搭載される日がくるかも・・・なんて思いました。

 

ミニ箒作り体験の当日は、様々な形状の箒の展示と希望者への販売も行いました。洋服用、猫の毛取り用、コーヒーミル用、その他いろいろあります。講師の柳川さんがお掃除したいものや場所にあわせてぴったりな箒の説明をしてくださいました。「心の汚れを落とすにはどれがいいでしょうか?」なんて質問もありました!

 

様々な箒の展示

 

私は、お掃除革命を引き起こした長箒に加え、柄の無い短い箒も購入してしまいました。こちらは穂先が短いため長箒とはまた異なる場所の掃除用です。柳川さんに「洗面所のマットはどうでしょう?」と聞いたところ「大丈夫ですよ~。」ということでしたので。早速自宅のマットのお掃除をしてみたところ、髪の毛や小さなほこりが掻き出せました。なるほど、「フローリングに箒」なだけではなく、「マットに箒」であったとは!収納はもちろん縁起がよくなりますように玄関に吊るしています。

 

短い箒とミニ箒

 

年の瀬は大掃除をしなければいけない呪縛のある気の重い季節ですね。我が家ではここ数年、結局大掃除はせずに小掃除でお茶をにごしています。今年は箒の力を借りてささっと終わらせるつもりでいます・・。

 

はぜの木

2019年11月09日 (土) 能楽関連

芸術監督が案内する横浜能楽堂見学と能楽のイロハを開催しました。

11月3日(日・祝)文化の日に「芸術監督が案内する横浜能楽堂見学と能楽のイロハ」を開催しました。ご参加いただいた皆さま、ありがとうございました。

 

まずは見所で芸術監督より、能楽が辿ってきた長~い歴史や能舞台の特徴についてお話しました。

 

 

休憩をはさんで2グループに分かれて、舞台裏や2階の展示廊を見学。舞台裏では鏡の間での揚幕体験や切戸口から鏡板を間近に見ていただきました。

 

 

展示廊では再び芸術監督より面と装束を中心にお話しました。女の面の中でも若い女性の小面の話や、皇室で代々育てられている蚕の品種「小石丸」と同じ品種の蚕の糸から織られた絹の話にとても興味をもっていただきました。

 

 

たくさんの皆さまにアンケートのご協力をいただきありがとうございました。今後の事業の参考にさせていだきます。自由意見を少し紹介します。

 

[70代男性]

・能の歴史がわかった(能の成り立ちなど)能の使われるいろいろな道具、衣装の芸術性

がわかった

[50代男性]

・楽屋や鏡の部屋を見たかったので満足。

・足利氏と能の関係性を初めて聞けて良かったです。ありがとうございました。

・とても良い企画だと思います。たくさんの発見がありました。

[50代女性]

・能に関する知識が増えたような気がします。お話興味深く聴くことができました。

・猿楽、田楽など何も分からず覚えていた言葉が分かり、むずかしいことを考えずに能を

楽しもうと思えた。

[40代男性]

・能楽の歴史や成り立ち、その背景など理解しやすい。話し口で大変好感が持てた。

[40代女性]

・ユーモアを折りこみながら興味がわくような具体例のある解説であった。間近で舞台や

装束の解説を聞きながら見学できたこと。皆スタッフの皆さん、能がお好きなんだなぁ

と感じられたこと。

[30代女性]

・バックヤードツアー楽しかった。横浜能楽堂の歴史興味深かったです。

 

案内するシリーズとしまして、年明けには「能楽師が案内する横浜能楽堂見学と能楽ワークショップ」を開催します。シテ方、狂言方、それぞれの視点でご案内します。

白足袋で本舞台も歩ける特別な体験付!只今絶賛受付中、この機会にぜひご参加くださいませ~。

https://yokohama-nohgakudou.org/news/?p=760

 

はぜの木

2019年09月07日 (土) 日々の出来事

横浜能楽堂伝統文化一日体験オープンデーを開催しました。

8月16日(金)に伝統文化一日体験オープンデーを開催。鑑賞・体験・ものづくり・伝承あそびなど7つのプログラムを実施、横浜能楽堂として初めての試みでした。来館者人数約590名、プログラム参加延べ人数約910名と、とても多くの方にご来館・ご参加いただきありがとうございました。当日の様子などをご紹介します。

 

仕舞鑑賞

講師は山井綱雄先生(シテ方金春流)にお願いしました。2回で約300名程度のお客様に鑑賞していただきました。お話がとてもわかりやすく仕舞も大変好評でした。アンケートでは、一番良かったプログラムのNo.1でした!

 

箏曲体験

講師は橘学苑高等学校筝曲部の皆さまにお願いしました。夏休み返上で事前練習~当日運営まで部員さんが主体となり、がんばってくださいました。1回目と2回目は第二舞台からお客さまがあふれるほどの大盛況ぶりでした。

筝曲部の部員さんの感想を少し紹介しますね。

・普段演奏するときは、他の部や他の団体と一緒に参加することが多いので、お客様はいろいろな演奏を聴くことになるけれど、今回は私たちの演奏を聴いたりお箏を触れたりするためだけに会場にいらっしゃったお客様で、その分緊張したし、嬉しさもあった。

・もうきっと横浜能楽堂で演奏できることはないと思うので、貴重な体験になった。

 

小鼓体験

講師は岡本はる奈先生(小鼓方観世流)にお願いしました。日常生活では邦楽器に触れる機会がなかなか無いようで、想定をはるかに超える参加のご希望があり、大変な人気でした。研修室という小さなお部屋で実施しましたので、急遽整理券を配布し、見学スペースも一杯になりお断りすることもありました。体験できなかった皆さまには、この場を借りてお詫びさせていただきます。岡本先生は横浜能楽堂にて毎月お稽古のお教室も開催していらっしゃいます。

 

舞台とバックヤードツアー

1回目87名、2回目111名と多くの方にご参加いただきました。揚幕体験や普段見ることのない切戸口からの舞台の景色をお楽しみいただけましたでしょうか。整理券配布の際にお待たせしてしまったお客さまには申し訳ありませんでした。

 

けん玉・ベーゴマ・わらべうたと遊ぼう!

講師は神奈川県青少年センター指導者育成課と田村さん、下田さん、清水さん、その他ボランティアの皆さんにお願いしました。2階のラウンジという少し奥まったスペースでの実施ではありましたが、いつもお客さまのにぎわいがありました。いろいろな世代のお客さまが一緒に楽しむことのできるよい時間ではなかったかと思います。

 

和紙で作る風船ランプシェード

講師は神奈川県立青少年センター科学部にお願いしました。お子さまたちが夢中になって和紙を貼っている姿が印象的でした。お家で使っていただけてますでしょうか。ランプを点けた時に横浜能楽堂を思い出していただけたら幸いです。

 

一閑張りで作る渋うちわ

講師は一閑張り利庵の鏡原様にお願いしました。事前予約ではすぐに満席となり、欠席の連絡でお席が空くとまたすぐに満席になるという人気ぶりでした。幅広い世代の方にご参加いただたきました。思い思いの作品ができあがりとても満足していただけたようです。鏡原様は横浜能楽堂研修室にて毎月一閑張りのお教室を開催されています。

 

アンケートにご協力をいただきありがとうございました。プログラムを楽しんでいただけた方がいらっしゃる一方で、整理券配布や館内案内など、今回初めての開催のため運営面での不手際があり申し訳ございませんでした。どうかご容赦くださいませ。次回開催時の課題とさせていただきます。

主な自由意見をご紹介します。

[50代男性]

・山井先生のお話がとても上手で聞きやすく、仕舞もすばらしかったです。またバックヤードの見学も初めてで、とても興味深く見学することが出来ました。

[40代男性]

・運よく、箏・小鼓・ツアーの3つすべて体験出来ました。楽器にふれられる方がもう少し増えるといいなと思いました。

[80代女性]

・とてもいいこと。子供達への文化の伝承、知能ばかり優先されてる今、あそびながら頭からだ共に育つ、のびていくこと、すばらしい。これからもぜひ続けて頂きたい!!!

[50代女性]

・小鼓体験;整理券配布時間の記載をしてほしかった(体験希望で訪れたのに!)

・箏曲体験;高校生が率先してワークショップを行っているのが良い!演奏も素敵でした!

・滅多にできない経験で、とても面白かった。触れる機会をつくっていただいてありがとうございます。説明もとても分かりやすかったです。(小鼓体験)

 

講師をお引きうけくださいました、山井先生、橘学苑箏曲部の皆さま、岡本先生、青少年センター指導者育成課他の皆さま、青少年センター科学部の皆さま、鏡原様、その他関係者の皆さま、ご協力いただいきありがとうございました。そしてご来館いただきました皆さま、本当にありがとうございました。ぜひまた横浜能楽堂でお会いしましょう!

 

はぜの木

2019年09月07日 (土) 日々の出来事

浴衣ワークショップ&狂言鑑賞会を開催しました。

8月11日(日)午前中に浴衣ワークショップ、午後から狂言鑑賞会を開催しました。参加者は10名。ハクビ株式会社着付師が10名に4名もついてくださり、とってもプライベート感満載なワークショップになりました。当日の様子をご紹介します。

 

まずは3つのグループに分かれて持ち物を確認し、早速スタート。下着を着けてタオルで補正をして浴衣を着て帯を結ぶ、というプロセスです。浴衣を着て帯を結ぶプロセス部分は何度も繰り返して練習しました。

 

今回、ハクビさんと事前打合せをする中で、半幅の帯結びを3種類から選べるようにお願いしました。下の写真の左から「男結び(貝の口)」、「蝶結び」、「リボン返し」です。オーソドックスな結び方だけでなく変わり結びを入れていただくようにお願いしましたら、「リボン返し」ということになりました。

 

 

参加者の皆さまはご自分の浴衣や帯に合う帯結びを選んで何度もチャレンジしていました。「手結びはできあがった付け帯とはふっくらした感じが違う」、「同じリボン返しの結び方でも帯の色柄の出し方を変えると全く違って見える」、などの感想がありました。

私自身も、リボン返しは半幅帯の裏の出し方を変えることにより同じ帯を何通りにも変えられる結び方だと感じました。

 

参加者の帯結びを接写しました。一つとして同じ表情が無く、無限の多様性ですね~。

「男結び(貝の口」)

「蝶結び」

「リボン返し」

「リボン返し」

 

 

そして、お昼を食べて午後からは狂言鑑賞会として、「横浜狂言堂」公演へ。和泉流で「清水」、「悪太郎」を鑑賞しました。初めて鑑賞された方からは、「お話があったのでとてもわかりやすく内容がはいってきた」、という感想がありました。

 

最期に皆さまで集合写真をパチリ!

 

 

参加者の皆さま、ハクビの着付師の皆さま、ありがとうございました。今年の夏の素敵な浴衣の思い出にしていただけましたらとても幸いです。

 

はぜの木

2019年08月25日 (日) 日常

流れ去るものはやがて懐かしき

横浜能楽堂では2019年3月から8月18日まで、ギリシャからのインターン、フィリポス・モスハトスさんを受け入れ、主催公演開催時のパンフレット配布やブログ記事掲載等のお手伝いをしていただきました。これまで5回にわたり、フィリポスさんが来日以降に日本で観た演劇や、さまざまな文化について感じたこと、考えたことなどをこのブログで紹介してもらいました。今回はその6回目、フィリポスさんからの最後のメッセージです。
なお、文章については本人が書いたものをそのまま掲載しています。

 

 

この最後の文章は、前みたいにの文章ではありません。この文章は日本語で礼を言う文章です。心得から手紙みたいようです。まず、横浜能楽堂の館長と同僚に礼をいたいです、この素晴らしい機会を渡してくれたから。この人たちのためで、そんなに素晴らしいな能楽堂に努めていました、ギリシャ人なのに。大学卒業したきり別のの大陸すぐ飛んでたし,そして前手帳から勉強しただけ言語で話喋り始めた。さらに、他ののところへ働きましたけど、日本の「仕事文化」を始めて体験しました。

能楽堂に日常生活は面白かったでした。確かに第1な大変問題は言語のバリアーでした。今もこれを考えますけど、もしこれはなかったらもっともっと役に立てるはずだと思います。しかしこの言語バリアーは止めさせませんでした、だから能楽堂の整理のこともそして一番大切、このスタフ・ブログの演劇記事のおかげで私の学位よく使いました。仕事以外、能・狂言・琉球の踊りは演劇学者として見ることはうれしかった。日本の古典芸能は世界中に独特ので、体験してくれて良かったです。

能楽堂以外に東京の小学校と高校一つに訪ねました。ここで子供と青年もギリシャの文化の講座と会話をやりました、さらに日本の学校生活少し体験しました。学生は(小と高校生も)意外にギリシャに凄い興味があったので、少しびっくりしました。ねえ、知ってる?今年はギリシャ―日本の120年貿易周年です。

 

 

講座中

 

 

仕事と用事以外、日本にいるの生活性は確かに面白い。食事のお店、居酒屋、旅行、大好きなアニメ文化そして及びそれぞれのお店、これを子供の時から体験するのは夢みたいでした。アニメの店以外、素晴らしいな合ってる人々、友達、恋人、日本に合ってくれたのでよかった。

この手紙はさようならの手紙でした。綺麗な記憶、素晴らしい人々の出会い、そして何より横浜能楽堂の渡せた成長の機会。人間として、演劇学者としてそして経営学生として、心得からまことにありがとうございます。

Ευχαριστώ πολύ και αντίο.
-Φίλιππος Μοσχάτος

2019年08月17日 (土) 日常

わからなくてもいいよ!:古典とポストモダン公演観劇ガイド

横浜能楽堂では2019年3月から8月まで、ギリシャからのインターン、フィリポス・モスハトスさんを受け入れています。主催公演開催時はパンフレット配布などのお手伝いをしてくださっていますので、既に皆さんにお会いしているかもしれません。フィリポスさんはアテネ国立大学演劇学部の学生で、近代日本演劇の研究をしています。日本文化に興味を持ち、2014年から国立大学の言語学校で日本語の勉強を始めました。

フィリポスさんが来日以降に日本で観た演劇や、さまざまな文化について感じたこと、考えたことなどをこのブログで紹介してもらいます。なお、文章については本人が書いたものをそのまま掲載しています。今回はその5回目、いよいよ終わりに近づいてきました。どうぞお楽しみください!

 

 

ロメオ カステルーチの“Tragoedia Endogonidia”(私用写真).見ても全然理解できない。

原始的な理解の必要性。

皆さん、こんにちは!聞きたいことがあります:能楽公演、それともあるポストモダンの公演の直後に「全く理解できない」って何回家に帰ってきました?この感覚は思ってより一般的です。なぜなら「あ、公演はつまらなかった」、それとも「言葉なしと俳優の行動に意味はなかった」の公演はしばしば混乱させます。何かを十分楽しむのは、公演も日常生活の催しにも、全部理解する必要があります。人間をより自信と安全性を感じさせ、サバイバル本能は先史時代から現代の趣味や仕事に移動した。先史時代に何かを理解できない時に不安になった。なぜなら多分この「何か」はあなたのことを殺すつもりだった。人間の本能を消すするのは無料です。観劇に何かをわからない時に当惑気味な視線は顔に現れると、友達と同僚を会話する時に「あ、面白かったね!」って良く言ってます。この観念は、ポストモダン公演の場合、演劇監督の文明っぽいと「わざわざすごく意味深い」公演によって応援されています。理解できないようではちょっと違和感に感じさせる。でも安心してください!この違和感の感じを直す方法はあります!

 

国々の古典公演の場合。

前の記事に言われたけど、繰り返します:古典公演は見るより感じるがいいと思います。古代ギリシャ悲劇と喜劇、日本の能と狂言、フランスのモリエールの喜劇、イタリアの16世紀のコメディアデルアルテ、この古典芸能に隠すことは国々の祖先の世界への感謝とユーモアのセンス。悲劇と能の場合は精神的な儀式です、そして喜劇の公演には時代のいたずらです。私たちの先祖は、私たちと同じように、物事を混ぜることが好きだったからです。もちろん何の国の悲劇と喜劇の鑑賞方法は違う。狂言に観劇にいくとき、室町時代時代の「いたずら感じ」を抱けてください。イタリアの喜劇、それともコメディアデルアルテ(芸術喜劇)を見る時に16世紀のイタリアの宮殿、陰謀、誤解、星を越えた恋人たちを想像して感じてみてください。期間について何も知らなければ、それも大丈夫です。ゆっくり座って心を開き、俳優と演劇があなたを連れ去る。私を言及した他の国でも同じです。何も知らない時も、心を開けて、脳の目を閉じて、そして時代の精神を感じてください。現実的の芝居かそれとも現実的な映画のせいで少し難しいけど。。。

 

ポストモダン公演の場合。

ポストモダン公演の公演はちょっと微妙です。近代だから、儀式とかそう言うことがあんまりありません。それは、それらが現在の問題や状況について考えさせるために作られているからです、特別に「パーフォーマンス」というジャンル。「パーフォーマンス」って何であるかを正確に定義するのは難しいけど、私がそれを定義する方法は、「人々に様々な問題を認識させることを意図した出来事」となることです。このパーフォーマンスとポストモダン公演も考えすぎるなら多分わかんない。近代演劇の大学の墓性は2年まえそういった:「多くの場合、何が起こっているのか理解できません。体をリラックスさせ、心を開いてください。それが起こっている瞬間にあなたがあなたの目の前で見るすべてを推論しようとしないでください。ショーを終了し、家に帰り、シャワーを浴び、リラックスして翌朝考えてみてね」。この考え方かたは何の公演にも使うことができますけど、ポストモダン公演と「パーフォーマンス」の場合は絶対に不可欠です。それは調理されたばかりの食べ物を食べるようなものです。 舌が火傷を負い、味を感じることができなくなります。 しかし、少し時間を待ってると、食べ物の味を理解できるようになります。食べ物は美味しいかどうかは人によってと思います。公演と同じことです。食べ物がおいしいかどうかは、シェフ(監督)の素材(俳優)と顧客(観客)の味に依存します。

 

あとがき:心の理解力

強調したいことがただ一つ。じぶんの心得の直感を信じてください。公演の好き嫌いのポイント良く説明することができないので、大丈夫です。これは評論家の役名です、そして評論家も自分自身で公演を理解していません。自分の主な直観を信頼るなら、ゆっくりなにを見ても考えらず楽しむことができます。

2019年08月17日 (土) 日常

海の国:日本の「船弁慶」とギリシャの「アウリスのイピゲネイア」

横浜能楽堂では2019年3月から8月まで、ギリシャからのインターン、フィリポス・モスハトスさんを受け入れています。主催公演開催時はパンフレット配布などのお手伝いをしてくださっていますので、既に皆さんにお会いしているかもしれません。フィリポスさんはアテネ国立大学演劇学部の学生で、近代日本演劇の研究をしています。日本文化に興味を持ち、2014年から国立大学の言語学校で日本語の勉強を始めました。

フィリポスさんが来日以降に日本で観た演劇や、さまざまな文化について感じたこと、考えたことなどをこのブログで紹介してもらいます。今回はその4回目です。なお、文章については本人が書いたものをそのまま掲載しています。どうぞお楽しみください!

 

7月の前半と後半二つの面白い公演を観劇しました。第1は新国立劇場の「オレステイア」。そして、第2は横浜能楽堂の「船弁慶」(観世流。その公演を観劇するあとに、あたまの中に一つな質問が頭に浮かびました:「海って何だろう」。両方の戯曲に海は主要な役割を持つ、実用的と心理的も。海を通って, 登場人物は自分のかっこと未来も立ち向かう、そして彼らはその出会いを通して、以前とは違う形で現れます。記事の後で細かいことを説明しますが、分かりやすくになるように、アウリスのイピゲネイア」の陰謀を与えます。

jacques-Louis David,1819. 「アキレウスの怒り」(公有写真)

戦争の犠牲少女

「アウリスのイピゲネイア」はエウリピデスの最後の喜劇です。406年BC書いた悲劇です。その陰謀はギリシャ人の将軍から、アガメムノン王で始めます。彼は自分の14歳の娘を犠牲するように神託から命令された。そうすれば、強い風が吹くと港に立ち往生している船はアウリス(北ギリシャ)の港から戦争に出航することができます。彼は彼女がアキレスと結婚することを約束することによってそこに来るように彼女に言います結局彼女は真実を知ったが、ギリシャ人が彼らの戦争に勝てるように犠牲にされることに同意する。彼女が犠牲されたの後で、風が吹いているとギリシャ人の船がトロイにいくのは可能になっていました。それは、文明社会がやろうとしていることについての私たちの見解と同様に、政治的および個人的な違いを強調する見事に書かれた秀作です。

海意味

皆様「船弁慶」の陰謀はしていますと仮定するので、だから説明することが必要はないと思います。では、「海」って聞いてる時に何を感じていますか?私の場合は脳に浮かぶ観念は「自由」と「移行」です。海は過去と未来の間の所、そしてここに時には意味もなし。過去と未来繋ぐから、この繋ぐの所は過去も未来ではありません。海渡すように、将来を届くように、人はまず痛ましい過去を立ち向かえなければいけません。お互いは(古代ギリシャ人と源義経(みなもとのよしつね))戦争の犠牲と効果を立ち向かうが必要です。源義経は海の上に平家の幽霊そして流血の過去もも一回見えます。でもその幽霊を戦うの代わりに、弁慶が浄化すると、順序が復元されます。

「アガメムノンの仮面」。アテネ国立考古学博物館に展示します。「前史のモナ・リザ」ってよく言われる。(公有写真)

「アウリスのイピゲネイア」の場合、海が裁判官として機能しています。将軍の各号を試すように、一人娘は弟の妻(ヘレネー)のために犠牲するが必要です。海は女性の犠牲を受け取りますと、許可を渡した。そして、この犠牲のために、ギリシャ人は戦争に勝つことになりますが、アガメムノンを含む彼らの多くはそれの後に苦しみます。でもこの犠牲で古代ギリシャ人は将来へ向かった。

源義経とアガメムノンはこの時間が無いところに(海)に入ると、出たあとにかわりました。一方は彼の過去に立ち向かうことを余儀なくされ、もう一方は彼の未来への許可を与えられました。

ギリシャも日本も海に依存している国です。従って、海は私たちの英雄を形づくるものであるということは理にかなっています、そして、ある程度、私たち自身の問題と希望は海にいくならなんとなく頭が軽くなります。沿海と地中海かいも。

-Φ.

 

 

 

2019年07月26日 (金) その他

「翁」とディオニューソス:東洋と西洋の演劇鑑賞方。

横浜能楽堂では2019年3月から8月まで、ギリシャからのインターン、フィリポス・モスハトスさんを受け入れています。主催公演開催時はパンフレット配布などのお手伝いをしてくださっていますので、既に皆さんにお会いしているかもしれません。フィリポスさんはアテネ国立大学演劇学部の学生で、近代日本演劇の研究をしています。日本文化に興味を持ち、2014年から国立大学の言語学校で日本語の勉強を始めました。

フィリポスさんが来日以降に日本で観た演劇や、さまざまな文化について感じたこと、考えたことなどをこのブログで紹介してもらいます。今回はその3回目です。なお、文章については本人が書いたものをそのまま掲載しています。フィリポスさんの感性をどうぞお楽しみください。

 

白翁面

 

皆様、こんにちは!今度喜劇から少し離れましょうか?今日の話題は西洋と東洋の起源。基本的に「翁」は何だろう?それは土地の幸福と繁栄を祈る一連の舞りです。翁の細部多数から、ここまでの説明はいい。根源的の目的は神々と繋ぐことです。公演の儀式の手続きは非常に長いと、出演者は彼らの体と精神を浄化しなければならない。でもこの翁の公演は時間が経つにつれて、猿楽そして猿楽能になった。この「式三番」を横浜能楽堂の公演を見る時に、「やっぱりこの雰囲気が魅惑的ですね!」と思っていました。俳優さんも観客さんもまことに神様の気配少し感じていたと思いますと能楽は繊細な動きと優雅な謡もちろん翁の継承を染み込ませます。

 

西洋のバッコス(ディオニューソス)の儀式

ディオニューソスの像

 

でも1400年前、600BCギリシャの人々彼らの神もお祝いした。でも翁に対してはこのお祝い方法はちょっと違う。古代ギリシャ人、特にディオニューソス神の信者は、恍惚で神と繋がりました。ワインと激しい踊りで、信者はこの恍惚の状況で神々の精神所を少したいけんすることができた。現在の強い麻薬のような、昔の信者は体を働かせ、酔っ払いになったり肉体的快楽に非常に浸ったりすることによって、神の所を一目できた。この快楽主義的アプローチ時間が経つにつれて、古代ギリシャ悲劇につながった。翁は能楽につながったのような、このバッコス神の恍惚的な儀式はドンドン演劇になった。主な例はエウリピデスの「バッコスの信女」です。良かったら検索してください、この物語はすごく面白いと思います。でも古代ローマにも、この快楽な生活性はギリシャより10倍に増加した。だからキリスト教の支配と確率、異教の信仰悪魔化まで、西洋の世界は神に到達するためにそのような行動を約束しました。でもキリスト教の到着直後には、その到達方は少し変わりましたので、今には悟りへ支配的な方法です。だから古代悲劇とキリスト教の根源的な発想と考えは全然違う。古代悲劇は娯楽だけでなく、宗教や政治にも関係していました。そしてそれが西洋が常にこの二分性を持っていた理由と思います。私たちの原始的な面は、キリスト教がもたらした謙虚さと従順さに置き換えられ、それによって神との到達をとる新しい方法となりました。

 

日本の神と古典芝居

奈良からの写真

 

日本には、神道と仏教は、猿楽能の表られる前に、一見溶けた。能楽の父そのもの、世阿弥 元清は、彼の「風姿花伝」と言う本の中に、能の起源は不明であるって書きました。現在の日本でさえ、神道と仏教は共存しているので外国人であるならば、それらを区別するのは難しいです。この状況は能が生まれたまえはあったから、能楽には仏教と神道の影響、芝居によって、よく現れる。で、この翁から進化した神のお祝いする方が、そして古代日本人は芝居と演劇で神々の崇敬方は同じです。それは「風姿花伝」は、文化と演劇と信仰の本として、まだ関連性がある理由です。なぜなら、それ以来の日本の精神的達成の方法は変わっておらず、他の宗教や異なる精神的達成の方法置き換えられていないからと思っています。そして西洋と東洋は彼らが彼らの霊性を達成する方法においてそれほど大きく異なりますが、終点は地球のすべての人々で同じままです。つまり、私たちのと連絡を造物主をもちょっと理解だけ。

2019年06月04日 (火) 日常

狂言と古代ギリシャ喜劇その②

横浜能楽堂では2019年3月から8月まで、ギリシャからのインターン、フィリポス・モスハトスさんを受け入れています。主催公演開催時はパンフレット配布などのお手伝いをしてくださっていますので、既に皆さんにお会いしているかもしれません。フィリポスさんはアテネ国立大学演劇学部の学生で、近代日本演劇の研究をしています。日本文化に興味を持ち、2014年から国立大学の言語学校で日本語の勉強を始めました。

フィリポスさんが来日以降に日本で観た演劇や、さまざまな文化について感じたこと、考えたことなどをこのブログで紹介してもらいます。今回はその2回目です。なお、文章については本人が書いたものをそのまま掲載しています。とても積極的に日本語でインターンとして活躍してくれていますので、きっと8月頃にはもっと日本語が上手になっていると思います。8月までの連載ですが、どうぞお楽しみに!

 

 

サテュロス民族。ディオニュソス神を崇拝する半ヤギの人間 (Filippo LAURI, Rome 1623-1694
A Bacchanale, with offerings strewn around a statue of the god Pan 公有写真)

 

喜劇の種類

サテュロス の仮面 (公有写真)

 

皆さん、お久しぶりです!前の記事を続けて、今度の記事には古代ギリシャ喜劇と狂言の種類を調べます。狂言については7ぐらいの種類があります(例:太郎冠者狂言、神狂言と大名狂言)て、その種類の差は内容と人物と状況の差です。ギリシャ喜劇には、三つの種類がありますが、その種類の中の差は時代的です。その種類はアッテイキ喜劇(アッテイキ県に基づいて、アテネ市の県. 486-400 BC)間喜劇(400-320 BC)と新喜劇 (320-120 BC)細かいことちょっと複雑が、基本的に時間が経つに連れて喜劇のテーマは薄くなった。例えばアッテイキ喜劇に、内容はもっと政治的でしたが、新喜劇が来る時に内容はもっと個人的になった。簡単にいえば、間喜劇と新喜劇は神狂言と太郎冠者狂言の同じです。でもその種類以外もう一つの種類があった:サテュロス劇

 

サテュロス劇はだいたい間狂言と同じの機能があった。前の記事「大ディオニスイア」と言う祭りに、悲劇の間にこの特別のサテュロス劇は俳優さんを演技した。さらに、内容はすごく面白かったでした。悲劇の既存の伝説では、サテュロスの民族はメインストーリーを侵略し、キャラクターを悩ませます。残念ですけど、このドラマの残りのはただ1本、エウリピデスの「キュクロプス」です。創造すれば面白いと思います:ある神話はうまくいくと、神話のキャラクターサボっていきなりサテュロスの民族現れると皆いじめ始まる。もちろん、古代ギリシャだから、そのサテュロス劇の終わりはちょっとエロでした。それは間狂言のもう一つの差です。でも古代ギリシャも中世日本にもかんがいかた同じでした:複雑の悲劇・能を表するなら、その悲劇・能の間に楽しくておかしい芝居を演技したほうがいいです。どんな大陸もどんな国にも、人間の生活の中で笑いは不可欠で。

 

奇妙な特徴:パラバシス

2017年ギリシャ国立劇場の「平和」。演出家:コヌスタンチノス・アルヴァニタキス。平和の女神は亡くなったと、主人公は取り戻した。カブトムシで。(写真:ギリシャ国立劇場報道官)

 

ギリシャ喜劇には、一番面白くて独特な特徴は「パラバシス」と言う特徴です。ギリシャ語にはパラバシスの定義は「何かを克服する」て、正にその通りです。芝居のある時点で、主人公は立ち止まり、喜劇が触れる政治的またはイデオロギー的問題について直接観客に話します。 その後も芝居続く。そのように、古代ギリシャの喜劇の著者と近代ギリシャの出演者はじぶんのイデアと考えを表することが出来ます。これは、何よりも、一番の狂言と古代喜劇の差と思います。

この「パラバシス」で、なんの世紀も何の先代も、古代ギリシャ喜劇を演技すれば、現代の観客に時代の問題を完全に示すことができます。それが、狂言が室町と江戸時代の過去の雰囲気尊敬して保持している一方で、現代の古代ギリシャの喜劇は常に現在を見据えている理由です。

 

あとがき:どうしてセリフ劇?

 

西洋人として、前から狂言は少し不思議でした。疑問はただ一つ:どうして狂言はセリフ劇ですか?西洋の世界演劇に、古代喜劇からはだいたい音楽と一斉にやる演劇のジャンル。笑いは音楽と踊りを伴いますが、狂言は踊りますが音楽も華やかさも欠けています。私は少し偏っているかもしれないことを理解しています。古代喜劇でやっぱり演劇はいつも結婚式とごちそうで終わります。だってギリシャ語に従って、コメディの語源「コモス」(パーティー)と「オヂ」 (歌)。世界演劇。もちろん、セリフがありますけど、音楽は重要な要素です。すなわち、一所懸命に人生を祝う芸能です。でも、も一回、少し偏っているかもしれません。多分もっと高揚感なタイプの喜劇に慣れてきた。

これから能と狂言もっと理解できるのために、お勉強します!

2019年05月05日 (日) その他

狂言と古代ギリシャ喜劇その➀

横浜能楽堂では2019年3月から8月まで、ギリシャからのインターン、フィリポス・モスハトスさんを受け入れています。主催公演開催時はパンフレット配布などのお手伝いをしてくださっていますので、既に皆さんにお会いしているかもしれません。フィリポスさんはアテネ国立大学演劇学部の学生で、近代日本演劇の研究をしています。日本文化に興味を持ち、2014年から国立大学の言語学校で日本語の勉強を始めました。

フィリポスさんが来日以降に日本で観た演劇や、さまざまな文化について感じたこと、考えたことなどをこのブログで紹介してもらいます。なお、文章については本人が書いたものをそのまま掲載しています。とても積極的に日本語でインターンとして活躍してくれていますので、きっと8月頃にはもっと日本語が上手になっていると思います。8月までの連載ですが、どうぞお楽しみに!

 横浜能楽堂

 

著者です。桜の満開中。

初めまして、こちらは横浜能楽堂の新しいインターン、フィリポスです。よろしくお願いします!日本文化経験するため、3月から㋇まで日本とヨーロパの演劇文化について、小さな記事を書くことをかんがえました。理由は二つ:一つは日本語を向上したかった。そして、二つの理由は、インターンシップ始まったから、色んな能と狂言見学しましたと、「やっぱり古代ギリシャ悲劇と喜劇の類似点が相違点と同じぐらい多いことね」と気が付いた。これらの記事を通して、私の考えを解読することを試みます、そしてそれらを読んでいる人々がその日本の対応関連で古代ギリシャとヨーロパの演劇文化について、もっと学ぶことをこの過程を通して望みます。

 

 

社会的側面

アテネ。現在ディオニューソス劇場、悲劇と喜劇生まれた場所。(公有写真)

比較する前、喜劇と狂言の時代を考慮しなければなりません。500bcのアテネに、喜劇と悲劇は市民の趣味でした。「大ディオニスイア」と言う祭りに、全部の市民(2000人ぐらい)3月の終わりに集まると、朝日7時から夕日まで有名な詩人による演劇を見ることです。市の裕福な商人貧しい人のきっぷと俳優の費用を支払いました。名誉とみなされた。女や子供やそして外国人も見学することができた。なぜなら、演劇は教訓的な目的を念頭に置いていた。

喜劇の俳優はみんな男子(能楽と狂言の同じ)でも普通の市民でした。特別演劇かたはなかった。詩人は先生でしたと。毎年新しい俳優に喜劇とか悲劇の語りと歌い教えた。能楽と狂言比べたら確かに類似点と相違点があります。でも根源的に、ギリシャの喜劇は民族のため演技した。狂言は貴族の芸術。これに従って、狂言の演技方は今までも大体同じです。残念ですけど古代ギリシャの演技方と語り方と謡かた誰にもしらない。これに起因して、現在の演出家は自分のスタイルでその喜劇作ることができる。彼らが衣装と歌と演技も望むことをすることができます。ギリシャでは、全ての公演を通して、それぞれの監督は自分のビジョンと伝統を生み出しますが、日本では方向性の問題ではなく、形式の完成度の問題です。

 

同じ劇場けど、古代時代の形。(公有写真)

 

2018年アリストパネスの「鳥」。演出家:ニコスカラサノス。曇の上の理想的な町に鳥と人間は戦争無しで暮らしている。(写真:in.gr)

 

内容の話:詩人と話題

古代ギリシャ喜劇の一番有名の詩人(実は古代時代残りの詩人)の名前はアリストパネスです。今まで、特に毎夏休み、彼らの戯曲演技されています。5世紀に生まれた、彼らは人生に94の戯曲を書いた、そのうちの11だけが救われている。最近のげき、「アカルナイの人々」425BCで行われで、最後のげき、「福の神」は388BCで行われた。彼の戯曲はギリシャの内戦の最中と終わった後に書かれ、都市国家間の平和を訴えながら、人々(政治家や将軍たちや)状況を飽きさせます。

 

アリストパネス (公有写真)

 

古代時代から残り唯一の喜劇著者、例としてかれを使います。その人たった一人だけ西洋の喜劇の基礎を築きました。ロマンの喜劇、文芸復興の演劇、さえもシェイクスピアの喜劇、そのものの原因はアリストパネスです。皮肉と失礼も、何よりも面白くて丁寧言語で彼らの現実と戦争の根源的な原因と黒幕の不条理が表す。その失敬な言語は狂言と比べたら根源的のさです,でも言語より、舞台衣装。ギリシャのぎげきは三本柱の上に立ち上がります:合体、食べ物、言葉の遊び。

 

古代喜劇の仮面。口は大きく開く、皮肉な表現で(公有写真)

 

主人公は、だいたい普通と簡単な人です、平和だけが欲しいのひと。それは狂言と古代喜劇の根源的の差です。戦争があったけど、女、お酒、食べ物、となりの人の小さい喧嘩、そしてもちろんお祭りのこと、全てなくなりました。ですから喜劇にそんななくなったことは現れると、人が笑うけど、前の時をおぼえます。市民の芸術ですから、政治的とブレイになった。狂言は貴族の芸術、ですから冗談は楽しいけど政治的ではない。

2017年ギリシャ国立劇場の「女の平和」。演出家:ミカイルマルマリノス。公演の間に女たちは裸になりましたと、直接観客に話かけました (写真:ギリシャ国立劇場報道官)

 

 

これは、喜劇と狂言の一般的なイメージです。次は「その②」の記事には喜劇と狂言の部分もっと調べましょう!

-Φ.

 

 

 

 

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