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2019年08月17日 (土) その他

海の国:日本の「船弁慶」とギリシャの「アウリスのイピゲネイア」

横浜能楽堂では2019年3月から8月まで、ギリシャからのインターン、フィリポス・モスハトスさんを受け入れています。主催公演開催時はパンフレット配布などのお手伝いをしてくださっていますので、既に皆さんにお会いしているかもしれません。フィリポスさんはアテネ国立大学演劇学部の学生で、近代日本演劇の研究をしています。日本文化に興味を持ち、2014年から国立大学の言語学校で日本語の勉強を始めました。

フィリポスさんが来日以降に日本で観た演劇や、さまざまな文化について感じたこと、考えたことなどをこのブログで紹介してもらいます。今回はその4回目です。なお、文章については本人が書いたものをそのまま掲載しています。どうぞお楽しみください!

 

7月の前半と後半二つの面白い公演を観劇しました。第1は新国立劇場の「オレステイア」。そして、第2は横浜能楽堂の「船弁慶」(観世流。その公演を観劇するあとに、あたまの中に一つな質問が頭に浮かびました:「海って何だろう」。両方の戯曲に海は主要な役割を持つ、実用的と心理的も。海を通って, 登場人物は自分のかっこと未来も立ち向かう、そして彼らはその出会いを通して、以前とは違う形で現れます。記事の後で細かいことを説明しますが、分かりやすくになるように、アウリスのイピゲネイア」の陰謀を与えます。

jacques-Louis David,1819. 「アキレウスの怒り」(公有写真)

戦争の犠牲少女

「アウリスのイピゲネイア」はエウリピデスの最後の喜劇です。406年BC書いた悲劇です。その陰謀はギリシャ人の将軍から、アガメムノン王で始めます。彼は自分の14歳の娘を犠牲するように神託から命令された。そうすれば、強い風が吹くと港に立ち往生している船はアウリス(北ギリシャ)の港から戦争に出航することができます。彼は彼女がアキレスと結婚することを約束することによってそこに来るように彼女に言います結局彼女は真実を知ったが、ギリシャ人が彼らの戦争に勝てるように犠牲にされることに同意する。彼女が犠牲されたの後で、風が吹いているとギリシャ人の船がトロイにいくのは可能になっていました。それは、文明社会がやろうとしていることについての私たちの見解と同様に、政治的および個人的な違いを強調する見事に書かれた秀作です。

海意味

皆様「船弁慶」の陰謀はしていますと仮定するので、だから説明することが必要はないと思います。では、「海」って聞いてる時に何を感じていますか?私の場合は脳に浮かぶ観念は「自由」と「移行」です。海は過去と未来の間の所、そしてここに時には意味もなし。過去と未来繋ぐから、この繋ぐの所は過去も未来ではありません。海渡すように、将来を届くように、人はまず痛ましい過去を立ち向かえなければいけません。お互いは(古代ギリシャ人と源義経(みなもとのよしつね))戦争の犠牲と効果を立ち向かうが必要です。源義経は海の上に平家の幽霊そして流血の過去もも一回見えます。でもその幽霊を戦うの代わりに、弁慶が浄化すると、順序が復元されます。

「アガメムノンの仮面」。アテネ国立考古学博物館に展示します。「前史のモナ・リザ」ってよく言われる。(公有写真)

「アウリスのイピゲネイア」の場合、海が裁判官として機能しています。将軍の各号を試すように、一人娘は弟の妻(ヘレネー)のために犠牲するが必要です。海は女性の犠牲を受け取りますと、許可を渡した。そして、この犠牲のために、ギリシャ人は戦争に勝つことになりますが、アガメムノンを含む彼らの多くはそれの後に苦しみます。でもこの犠牲で古代ギリシャ人は将来へ向かった。

源義経とアガメムノンはこの時間が無いところに(海)に入ると、出たあとにかわりました。一方は彼の過去に立ち向かうことを余儀なくされ、もう一方は彼の未来への許可を与えられました。

ギリシャも日本も海に依存している国です。従って、海は私たちの英雄を形づくるものであるということは理にかなっています、そして、ある程度、私たち自身の問題と希望は海にいくならなんとなく頭が軽くなります。沿海と地中海かいも。

-Φ.

 

 

 

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