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2019年07月26日 (金) その他

「翁」とディオニューソス:東洋と西洋の演劇鑑賞方。

横浜能楽堂では2019年3月から8月まで、ギリシャからのインターン、フィリポス・モスハトスさんを受け入れています。主催公演開催時はパンフレット配布などのお手伝いをしてくださっていますので、既に皆さんにお会いしているかもしれません。フィリポスさんはアテネ国立大学演劇学部の学生で、近代日本演劇の研究をしています。日本文化に興味を持ち、2014年から国立大学の言語学校で日本語の勉強を始めました。

フィリポスさんが来日以降に日本で観た演劇や、さまざまな文化について感じたこと、考えたことなどをこのブログで紹介してもらいます。今回はその3回目です。なお、文章については本人が書いたものをそのまま掲載しています。フィリポスさんの感性をどうぞお楽しみください。

 

白翁面

 

皆様、こんにちは!今度喜劇から少し離れましょうか?今日の話題は西洋と東洋の起源。基本的に「翁」は何だろう?それは土地の幸福と繁栄を祈る一連の舞りです。翁の細部多数から、ここまでの説明はいい。根源的の目的は神々と繋ぐことです。公演の儀式の手続きは非常に長いと、出演者は彼らの体と精神を浄化しなければならない。でもこの翁の公演は時間が経つにつれて、猿楽そして猿楽能になった。この「式三番」を横浜能楽堂の公演を見る時に、「やっぱりこの雰囲気が魅惑的ですね!」と思っていました。俳優さんも観客さんもまことに神様の気配少し感じていたと思いますと能楽は繊細な動きと優雅な謡もちろん翁の継承を染み込ませます。

 

西洋のバッコス(ディオニューソス)の儀式

ディオニューソスの像

 

でも1400年前、600BCギリシャの人々彼らの神もお祝いした。でも翁に対してはこのお祝い方法はちょっと違う。古代ギリシャ人、特にディオニューソス神の信者は、恍惚で神と繋がりました。ワインと激しい踊りで、信者はこの恍惚の状況で神々の精神所を少したいけんすることができた。現在の強い麻薬のような、昔の信者は体を働かせ、酔っ払いになったり肉体的快楽に非常に浸ったりすることによって、神の所を一目できた。この快楽主義的アプローチ時間が経つにつれて、古代ギリシャ悲劇につながった。翁は能楽につながったのような、このバッコス神の恍惚的な儀式はドンドン演劇になった。主な例はエウリピデスの「バッコスの信女」です。良かったら検索してください、この物語はすごく面白いと思います。でも古代ローマにも、この快楽な生活性はギリシャより10倍に増加した。だからキリスト教の支配と確率、異教の信仰悪魔化まで、西洋の世界は神に到達するためにそのような行動を約束しました。でもキリスト教の到着直後には、その到達方は少し変わりましたので、今には悟りへ支配的な方法です。だから古代悲劇とキリスト教の根源的な発想と考えは全然違う。古代悲劇は娯楽だけでなく、宗教や政治にも関係していました。そしてそれが西洋が常にこの二分性を持っていた理由と思います。私たちの原始的な面は、キリスト教がもたらした謙虚さと従順さに置き換えられ、それによって神との到達をとる新しい方法となりました。

 

日本の神と古典芝居

奈良からの写真

 

日本には、神道と仏教は、猿楽能の表られる前に、一見溶けた。能楽の父そのもの、世阿弥 元清は、彼の「風姿花伝」と言う本の中に、能の起源は不明であるって書きました。現在の日本でさえ、神道と仏教は共存しているので外国人であるならば、それらを区別するのは難しいです。この状況は能が生まれたまえはあったから、能楽には仏教と神道の影響、芝居によって、よく現れる。で、この翁から進化した神のお祝いする方が、そして古代日本人は芝居と演劇で神々の崇敬方は同じです。それは「風姿花伝」は、文化と演劇と信仰の本として、まだ関連性がある理由です。なぜなら、それ以来の日本の精神的達成の方法は変わっておらず、他の宗教や異なる精神的達成の方法置き換えられていないからと思っています。そして西洋と東洋は彼らが彼らの霊性を達成する方法においてそれほど大きく異なりますが、終点は地球のすべての人々で同じままです。つまり、私たちのと連絡を造物主をもちょっと理解だけ。

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