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2015年07月01日 (水) 未分類

熊野本宮大社例大祭

熊野には本宮、新宮と呼ばれる速玉大社、そして那智大社の3つがあり、その3つを合わせて熊野三山と呼ばれています。

4年前、その三山と熊野古道を訪れる予定だったのですが、まさにその時に「紀伊半島大水害」と呼ばれる災害が起こったのです。那智大社だけ雨の中お参りし、鉄道が動かなくなる前に帰ろう、と志半ばで帰ってきました。

今回、4年前のリベンジで熊野本宮の例大祭に行ってきました。熊野本宮の例大祭は毎年4月13日から15日にかけて行われます。

 

1日目は、湯登神事(ゆのぼりしんじ)という行事が行われ、神職、修験者、伶人(神楽人)、氏子総代、稚児の一行が、熊野本宮大社を出発し山を登り、湯の峰温泉を目指します。湯の峰温泉まで行くと温泉で身を清め、湯の峰王子という地点で八撥神事(やさばきしんじ)という神事を行い、また山を下ってきます。そして今度は大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる元々熊野本宮大社があった場所に帰っていきます。

私は八撥神事から参加したのですが、雨のため屋外で執り行われるはずだった八撥神事が、湯の峰温泉の宿の宴会場で行われていました。神秘的な感じもなくなってしまい、少し残念に感じましたが、雨の中では屋外で行うのは大変なのでしょうがないことですね。。。

その後雨が小降りになり、一行が大斎原に入っていく姿は美しく、母なる土地に戻っていくような、一行が包み込まれていくような感覚を覚えました。

おおゆのはらへ

 

2日目は内部のお祭りのようだったので、パスして雨の中でしたが、新宮と神倉神社までお参りに。神倉神社はゴトビキ岩と呼ばれる巨大な岩をご神体とした神社。松明を持って石段をかけ下りるので有名な御燈祭の会場となるところです。

 

3日目は、メインの本宮祭と渡御祭(とぎょさい)という本宮から大斎原まで列をなして練り歩くというお祭り。そして大斎原では、神様にいろんな舞を奉納していきます。

 

なんとその日の朝までくもり空だったのに本宮祭を始める時間になると、空が晴れ渡り、快晴となりました。これにはそこに居合わせたみんなが驚き、それこそ神に感謝といった感じでした。

本宮祭では、神職の方々が神様にお供え物を運び祝詞をあげると、氏子の人々が次々に玉串を奉納していきました。そしてそれが終わると、参列していたその他の人にも玉串を奉納できる機会がありました。私も普段開放していないご社殿の中に入らせて頂き、玉串を奉納してきました。めったにない機会にとても幸せな気分になれました。

 

本宮祭が終わり、午後には渡御祭が催されます。渡御祭の時間が近くなり、本宮の石段を降りた鳥居の横に大きな旗も掲げられると、いよいよ一行が下りて来るころかと気持ちが高まります。

本宮の鳥居と大きな旗

 

そして、始まりました。一行が本宮を出て、石段を下りてきました。

石段を下りてくる一行

宮司さんを先頭に、氏子総代の方、露払いの天狗と列をなして下りてきます。

そして、山伏たち、大和舞を舞う男の子たち、巫女(役の子供)や、稚児、御神輿を担いだ子どもたち、男たち、女たちが続きます。1日目から人数が増えて巨大化した行列は大斎原に進んで行きます。

 

そして大斎原に到着すると、御神輿に乗せてきた神様の前で大和舞、巫女舞、稚児舞などを次々に舞を奉納していきます。その様子は華やかで、きっと神様も楽しんでいたことでしょう。

 

↓これは巫女舞。小学生か中学生の女の子たちがかわいく舞っていました。

巫女舞

↓これが稚児舞を舞う直前。稚児の子供たちとお父さんが出番を待っています。

待っている間に寝てしまう子、泣き出しちゃう子もいて、お父さんは大変そうでした。。。

稚児とお父さん

舞の奉納が終わると、余興的に山伏の護摩焚き、餅投げが行われました。

おうちに帰れなくなるからと、その辺で失礼してきました。

 

さすが古から聖地として崇められてきた土地だけあり、神秘的だったり、とても気持ちのよい景色が広がったりと、そこからいい気をたくさん頂けたように感じました。

今回は熊野古道を歩けなったので、次の機会には熊野古道を歩きたいと思います。

 

ぼたん

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