スタッフブログ

2018年11月10日 (土) 能楽関連

「館長が案内する横浜能楽堂見学と能楽のイロハ」を開催しました。

平成30113(土・祝)に「館長が案内する横浜能楽堂見学と能楽のイロハ」を開催しました。10:00の回72名、14:00の回73名、計145名の皆さまにご参加いただきました。本当にありがとうございました。当日の様子をご紹介します。

 

まずは見所で館長のお話からスタート

事前にレジメを用意しようとしましたところ、館長が「レジメがあると話が面白くなくなるから」ということで、職員の私たちもどんなお話になるのかわからないままスタートしました。レジメ無きお話ですので、10:00の回と14:00の回で脱線部分も異なりましたが、それぞれに興味深かったのではないかと思います。皆さまはいかがでしたでしょうか?

 

休憩をはさんで、3つのグループに分かれて楽屋裏を見学

鏡の間では館長が面のかけ方や揚幕のあげ方を紹介しました。揚幕体験をしたり、鏡の間から舞台を写真撮影された方もたくさんいらっしゃいました。

能楽の公演のイメージがふくらむように、通常の施設見学時には無い展示をご覧いただきました。鏡の間の面、装束の間の唐織、狂言方楽屋の素襖、焙じ室の大鼓の皮などです。

 

見学終了後はロビーにてサイン会

ご希望者に、館長が自著『これで眠くならない!能の名曲60選』にサインしました。長蛇の列にびっくりでした!

 

2階には記念撮影用に顔ハメパネルを設置

めくりに下げた日付入りの札は当館職員の直筆です!来館記念に撮影していただけましたでしょうか?

 

 

終了後のアンケートには多くの皆さまにこ協力いただきありがとうございました。

ここで少しご紹介します。

 

 

 

自由意見

・舞台を演者側からの目線で見られたり、館長のお話が面白くよく理解出来ました。(40代女性)

・館長のお話がとても、興味深くわかりやすく面白かったです!おまくの体験をさせて頂き、感激致しました!(50代女性)

・時間を感じさせないくらいおもしろかった。歴史背景を知ることができて良かった。(60代男性)

 

案内するシリーズ企画としまして、「能楽師が案内する横浜能楽堂見学と能楽ワークショップ」を年明けに開催します。111日には梅若紀彰 (シテ方観世流)223日には山本則重(狂言方大蔵流)がそれぞれの視点からご案内をいたします。

https://yokohama-nohgakudou.org/news/?p=571

現在募集中ですので、ご興味のある方はぜひご参加くださいませ。

 

はぜの木

 

 

 

2018年02月06日 (火) 能楽関連

和泉式部と梅の花

寒いですね。こう寒いと、出歩くのが億劫になってしまい、休みの日は家で過ごしてしまいがちです。

先日の積雪のあと。家の雪かきをしていたら、梅に一羽のメジロがやってきました。枝に雪が積もり、どこに花があるのか、すぐには分からない状況だったのですが、メジロは上手に花を啄み、飛び去って行きました。風情があって、歌の題材にでもなりそうな光景でしたが、歌心などない私は、ただ、ほのぼのとするばかりでした。

 

 

さて、梅と言えば2月10日に企画公演「能の花 能を彩る花」第4回「梅」が開催されます。上演される曲は「東北(とうぼく)」。和泉式部の霊が自らが愛した東北院の「軒端の梅」と和歌の徳について語り舞う、梅の花のような格調高い美しさに満ちた曲です。

 

この曲、特に典拠となる作品は存在しないようで、和泉式部が「軒端の梅」を植えたという話も存在しないようです。和泉式部と梅の花というと、京都の祇園祭の山鉾の一つ、「保昌山」の題材にもなっている、藤原保昌が和泉式部に紫宸殿の梅の一枝が欲しいと頼まれ、警護の北面武士に矢を射掛けられながらも一枝を持ち帰り、結ばれたというエピソードが有名ですが、「東北」では全く触れられません。

 

 

それどころか、名歌人として知られる和泉式部の歌は一首も詞章に用いられていないようです。

 

「東北」の中に登場する歌で、印象的な歌と言えば、序之舞の後に謡われる

 

春の夜の闇はあやなし梅の花 色こそ見えね香やは隠るる

 

ではないでしょうか。虎屋の羊羹「夜の梅」もこの歌から名がついており、ご存知の方の多いと思いますが、古今集に収められている凡河内躬恒の歌です。夜の東北院に香る梅の花という情景を豊かに想像させる歌だと思うのですが、ここで和泉式部の歌を引用するという選択肢はなかったのでしょうか。

 

 

調べてみると和泉式部が梅を詠んだ歌はいくつかあるようです。「春の夜の~」の歌に似ているものだと、

 

梅が香におどろかれつつ春の夜の 闇こそ人はあくがらしけれ

 

この歌も梅の香りが漂ってくるようで、素敵な歌に思えますが、「おどろかれつつ」や「あくがらしけれ」は、なかなかインパクトのある言葉で、春の夜の静かな雰囲気とは趣を異にする感じがします。また別の歌に、

 

梅の香を君によそへてみるからに 花のをり知る身ともなるかな

 

というのもありますが、この歌は相手となる存在が感じられ、やはり「東北」には合わない気がします。ここはやはり客観的に夜の梅の香を詠んだ「春の夜の~」の歌が一番しっくりくるようです。

 

考えてみると「東北」は、和泉式部がシテでありながら、和泉式部らしさを極力描かないようにしているようにも感じます。曲名からして「東北」。能に詳しくない人が聞いたら東北地方の話かと思うかもしれません。(ちなみに古くは「軒端梅」という曲名だったそうです)

 

調べれば調べるほど、作者は何を描こうとしたのか、なぜ和泉式部をシテに選んだのか、奥深さを感じます。2月10日は、どんな「東北」を見せてくれるのでしょう。人間国宝の大槻文藏さんの舞、池坊専好さんのいけばな、と見どころ沢山の公演です。お楽しみに!

 

 

 

♦公演情報♦

 

 

横浜能楽堂企画公演「能の花 能を彩る花」第4回「梅」

2018年2月10日(土)14:00開演(13:00開場)

能「東北」(観世流)大槻文藏

チケット僅少です。

 

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2017年07月18日 (火) 能楽関連

能作者といけばなのお話

梅雨の季節みなさまいかがお過ごしでしょうか。

 

時には鬱陶しい雨ですが、
雨に濡れる草木には、何とも言えない趣があります。
季節の移り変わりを感じ、自然のものをあるがままに愛で、受け入れる。
四季のある日本ならではの感情でしょうか。

 

能には草木の精霊が登場します。儚くも美しい存在の精霊たちは、
作者が自然の草木から「生命力」や「心」を感じたからこそ生まれたのではないでしょうか。
今回は、生け花への言及を通して、能作者の花へのある思いが読み取れるお話を紹介します。
世阿弥の娘婿である金春禅竹の孫、金春禅鳳の聞書『禅鳳雑談』に次のような一節があります。

 

・・池ノ坊の花の弟子、花のしほつけの事、細々物語り候。
・・是も、得して面白がらせ候はん事、さのみ面白からず候。
・・(日本思想大系23『古代中世芸術論』引用)

 

華道の池坊のお弟子さんが、花の風情や愛嬌について色々と語っていたとあり、
生け花も意図的に風情を出そうとあれこれ手を加えると、かえって趣がなくなってしまうものだと述べています。

また、次のような記述も…

 

・・花が能に近く候。花と毟り枯らし候はで、そのままに插すやうなるがよく候。
・・結い集めたる花をはらと解き候が、幕うち上候てより埒を破る心にて候。
・・花のしほひし、池の坊申され候。面白く候。

・・枯れ木に苔を続飯にて付けなどする事、嫌にて候。(引用同上)

 

やはり、花を生けるときには意図的に手を加えすぎることなく、自然のままに挿すのがよいとあります。
さらに、束ねていた花をはらりと解く様子は、幕が上がって舞台に上るときの気持ちと似ているとあり、

生け花と能とは表現方法は違えど、本質的な部分でどこか近いものを感じていたようです。

 

禅鳳の作風は、世阿弥や禅竹の「幽玄」に対して、ショー的な「風流能」が多いと言われていますが、
そのような禅鳳だからこそ、奇を衒いすぎることのないよう、その根底には自然のあるがままの美を大切にしていたのではないでしょうか。

 

さて、横浜能楽堂では『禅鳳雑談』から約500年の時を経て、「能」と華道家元池坊の「いけばな」による企画公演が開催されます。 「能」と「花」、それぞれの美しさの競演をぜひお楽しみください。

 

・・横浜能楽堂企画公演「能の花 能を彩る花」全5回 チケット発売中です!

 

こうめ

2017年06月20日 (火) 能楽関連

「焙じ室」をご存知ですか?

施設見学の際に見学者の方にご興味をもっていただける場所の一つに「焙じ室(ほうじしつ)」があります。おそらく、その名前と設えがミステリアスなのでは?と思います。演奏前に大鼓の革を焙じて乾燥させるためのお部屋で、能楽堂ならではの設備と言えます。

大鼓は、胴、革、調緒(しらべお)から構成されており、革の素材は馬で、焙じて乾燥させることでカーンという硬質の力強い音が出ます。ちなみにつくりや見た目が似ている小鼓は、同じく馬の革素材ですが、こちらは温度や湿度にとても敏感で、演奏する時には革を湿らせながら音を調節します。
写真の左から2番目が大鼓、3番目が小鼓です。

能の公演の始まるおよそ2時間前には、「焙じ室」にて、私たちスタッフが炭火をおこす準備に取り掛かります。この準備作業のことを「火おこし」といいます。手順としましては、まず火種となる炭を赤くなるまでバーナーで熱して、その後に火鉢に移します。この際に「夏下冬上(かかとうじょう)」にするとよいそうです。これは、炭火のおこし方のことで、夏は火種を炭の下に置いて、冬は火種を炭の上に置くと火付きがよいということです。あとはひたすらうちわであおぎます。換気をよくして行いますので、外気の温湿度に影響を受けやすく、湿度が高い日は火付きが悪い、温度が高い日は汗が止まらない、などの苦労もあります。炭が赤くなり安定したら、炭を形良く積み上げて「火おこし」完了です。炭は紀州の備長炭を使っています。
写真は大鼓の革を「焙じ台」に載せて焙じているところです。

毎月第二木曜日の施設見学日には、普段は見られない楽屋とともに「焙じ室」もご見学いただけます。次回は7月13日(木)10:00~11:00(無料・予約不要)です。お時間に受付ロビーにお集まりください。10名以上でご来館の場合は、あらかじめお電話にてご連絡くださいませ(横浜能楽堂045-263-3055)。皆さまのお越しをお待ちしております。

はぜの木

2017年03月30日 (木) 能楽関連

朝薫以後(田里朝直の組踊)

平成27年からスタートした「能の五番 朝薫の五番」も先月に第3回が終了。公演をご覧になった方は、玉城朝薫が作った組踊とそれに対応する能を見比べて、類似点や独自性に気付かれたのではないかと思います。

 

「朝薫の五番」は、組踊の原点となる作品として、今日でも度々上演されていますが、朝薫以降も組踊は作られており、現在でも演じられています。その中には、やはり能との関わりが指摘されている作品が幾つか存在しており、組踊「花売の縁」と能「芦刈」、組踊「雪払い」と能「竹雪」、組踊「万歳敵討」と能「放下僧」等が挙げられます。

 

「万歳敵討」の作者、田里朝直は、朝薫の次の世代に活躍した人物で、他に「大城崩」「義臣物語」「北山崩」を作ったほか、「未生の縁」「月の豊多」なども朝直作と言われています。朝直も朝薫同様、本土の芸能の影響を受けたようで、「万歳敵討」以外作品も、「未生の縁」は、能「弱法師」の典拠にもなっている俊徳丸伝説が下敷きになっていますし、「大城崩」は能の番外曲「正儀世守」と関連があると考えられます。

 

その組踊「大城崩」と能「正儀世守」ですが、両者とも敵討ちの後日談を描いた作品で、処刑の危機に陥った兄弟の前に母親が現れ、助けを乞う。母の願いにより兄弟のうち、一人を殺すことになったが、母は継子であり嫡子である兄を生かし、実子である弟を殺すように頼む。最後は、兄弟共に赦され、めでたく終わる。という話の大筋は共通しています。

しかし、大きく異なる点として、「正儀世守」に登場する兄弟は仇討を果たした側であるのに対し、「大城崩」の兄弟は、仇討を果たした側にとっては敵の子であること、が挙げられます。

 

他の仇討物を見ても、敵討ちを果たした者は称賛されるのが常で、敵討ちを果たした兄弟が捕えられ、処刑の危機に瀕した後に救われるという「正儀世守」の筋立ての方が、素直な印象を受けます。しかし「大城崩」では、敵討ちを果たした大城若按司という人物は、さらに仇の息子である兄弟までをも捕えて処刑しようとする、いわば敵役・加害者に回ります。それにより、復讐劇に巻き込まれ、処刑の危機に陥った兄弟の哀れさ、理不尽さが際立ち、より現代的なテーマを持った作品に仕上がっているように感じます。

 

朝直の組踊は他の作品も、義理人情や人間心理を中心に描かれているのが特徴です。典型的な敵討物のように思われる「万歳敵討」も、能「放下僧」には登場しない、敵(高平良御鎖)の妻子が登場しますが、それは、敵にも家庭があること(敵討をすることで新たな悲劇が生まれること)を暗示しているようにさえ思えます。

 

 

朝薫以降の作品について、矢野輝雄著の「沖縄芸能史話」には「組踊りは、玉城朝薫の五組に始まり五組につきるという。伊波普猷は『若し彼の五つ組を能とすれば、是等(他の作者の組踊り)は田舎歌舞伎の如きものであろう』と極言している」と書かれており、その評価はあまり高くないようにも思われます。しかし、能が世阿弥以降、元雅、禅竹、信光らが、様々な特徴を持った作品を生み出し、そのバリエーションが広がったように、組踊も玉城朝薫以来の「忠孝」という組踊の中心的なテーマを継承しつつも、新たな作風を持った作品が生まれていったことで、より豊かな芸能になったように思うのです。

 

なかなか色々な作者の組踊を見比べる機会は少ないかもしれませんが、作者とその作風にも注目して組踊を見ると、より作品を面白く見られると思いますよ。

 

次回の「能の五番 朝薫の五番」第4回 「放下僧」と「二童敵討」は、平成30年2月4日に開催です!

 

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2016年12月07日 (水) 能楽関連

「狂言を体験してみよう」レポート

先日、横浜能楽堂がコーディネーターとなって(※)、横浜市立潮田小学校で「狂言」の授業を行ってきました。対象は6年生。内容は、国語の教科書(光村図書)に載っている狂言「柿山伏」を鑑賞して、先生と一緒に体を動かして狂言の表現を体験するというもの。

 

先生は、大蔵流狂言山本家の山本則重さん、山本則秀さん、若松隆さんのお三方。ちなみに、生徒さんが持っている教科書には、則重さん・則秀さんのお父様である山本則俊さんと伯父様の山本東次郎さんが「柿山伏」を演じている写真が載っています。

 

教材のビデオなどで映像も見られるとはいえ、第一線で活躍する狂言師の声や身体の動きを間近で体験する迫力は格別。鑑賞のあいだ、みなさん興味深そうにじっと見入っている姿が印象的でした。

 

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狂言「柿山伏」の鑑賞                 立ち方の練習

 

体験では、「正座をしてお辞儀をしてみましょう。」というところからスタート。
狂言の「笑う」や「泣く」といった所作を皆でまねてみたり、体育館の全面を使って狂言の足の運び方を体験したりしているうちに、二時限があっという間に終わってしまいました。

 

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足の運びをやってみよう                 質問コーナー

 

国語の教科書では「ことば」が取り上げられていますが、「狂言」じたいは演劇の要素もあれば、謡や舞といった音楽やダンスの要素もある、600年以上の歴史を持つ芸能。日本の伝統文化に根差したいろんなエッセンスがつまっています。

 

今回授業を行った潮田小学校は、約20か国につながる児童が通うというインターナショナルな環境。学校の先生方からは、「狂言の体験を通して、日本の文化だけではなく、つながる国の友達の文化も尊重し合える子どもになってほしい」という期待の言葉もいただいていました。

 

今回の体験が、教科書の理解にとどまらず、自分のこと、友達のことを知るきっかけとなって、より充実した学校生活につながっていくことを願っています。(そして、さらには古典芸能に興味を持ってもらえたら、とっても嬉しいです・・・!)

 

※今回の授業は、横浜市で行っている「芸術文化教育プラットフォーム」との連携で行われました。http://y-platform.org/

2015年01月12日 (月) 能楽関連

本年もよろしくお願いいたします

あけましておめでとうございます。

横浜能楽堂でおめでたいものと言えば、まず思い浮かぶのは 本舞台の鏡板。 明治8年に旧加賀藩の前田斉泰邸に建てられた、松竹梅の鏡板 はご存知の方も多いかと思います。 その舞台も今年は140年。 横浜能楽堂にて引き続き歴史を刻んで行きますので、皆さま 今後も是非お越しください。

その舞台をもとに作られたお菓子が、こちらも皆さまご存知の横浜能楽堂銘菓『生落雁 鏡板』。 平成12年3月~5月にかけて行われました特別展『お菓子で 味わう能』にてご協力頂きました名店の一つ、金沢の諸江屋 さんのご協力により製作されました。 今年は販売開始15年になるロングセラー商品です。 生菓子ですのでお早めにお召し上がり頂きたい為に、販売数を限定させて頂いております。売り切れてしまう場合も多くありますが、 予めご予約もお受けしておりますので、お電話にてお申込み下さい。

 

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さらに能楽堂ショップからのお知らせです!

只今、数量限定の一筆箋を始め新商品が続々入荷しております。 ツイッターにて順次ご紹介しておりますが、能楽堂にお越しの 際はショップにもお立ち寄りください。

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2014年11月14日 (金) 能楽関連

横浜能楽堂にみる”とき・人・伝統”

 

凛とした佇まい、伝統の香り「能舞台」 尊い”とき”を感じては心がときめく。

 

こ~んな空間にうっとり『横浜能楽堂』。

 

沖縄からアーツマネジメント研修にきて、早二十日。

「光陰流水の如し」(こういんりゅうすいのごとし)

月日は流るる水のように瞬く間に過ぎ去る・・・

 

恋しているからか。ホントに早い

 

大切に生きなくては。

 

沖縄のために何かしなくては。

 

そんな想いで勉強に

 

新たな私の一歩は、あゆみだしたばかり。

 

 

 

申し遅れてスミマセン。沖縄から研修に来ました、沖縄おばあです。

 

 

 

私は能舞台が大好きです。

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「横浜能楽堂の本舞台」 縁起の良い末広がりの“八”

 

ときは明治8年(1875年)。旧加賀藩主・前田斉泰邸に建築され

 

時より大正8年(1919年)。東京根岸から染井の松平頼寿邸に移築

 

時して平成8年(1996年)。横浜能楽堂開館。横浜市指定有形文化財に。

 

なんともまぁ~偶然とは思えない八重の“縁起もの”素敵☆

 

 

明治12年(1879年)廃藩置県によって、琉球から沖縄県となった年。

それを考えると、沖縄県の歴史は136年・・・能舞台より若い。

能舞台の歴史は、今年140年。関東大震災も乗り越えた。

謹んでお祝い申し上げます。あやかりたい

12月23日「明治八年 能楽の曙光」

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「現存する関東最古の能舞台」

幾重もの時を重ねて、いったいどれほどの人を感動させてきたのだろう。

考えるだけで、ドキドキ♥ドキドキ♥ 夢見心地

ときどき実は昼休み、こっそり2階見所に赴いては想いを馳せて一人相撲?

そんな私の、独り言はさておきまして。

 

伝統を受け継ぐ皆様が立つとき

能舞台が、生き生きと息づく。

息をつめたり、抜いたり、ほどよい緊張感が心地いい~♪

みなさんにもこの幸せをおすそわけ

1月17日「能の五番 朝薫の五番」

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能に感化された玉城朝薫(琉球王国時代の踊奉行)

本土の伝統芸能をベースに創造された、沖縄の伝統ミュージカル「組踊」

共にユネスコ無形遺産。

それらを受け継ぐ皆様に、敬意を表して。

 

沖縄と大和(本土)。組踊と能。

伝統芸能がときを越えて『横浜能楽堂』で共演

どんな舞台になるのだろう

またまたドキドキ♥わくわく♥恋の予感。

 

3歳から琉球舞踊、9歳で沖縄伝統空手。

伝統芸能とともに歩んだ30年。節目の年に新たなる挑戦  研修

この経験という財産。

与えて頂いた沖縄県、これまで導いて下さった母校・沖縄県立芸術大学の先生方、

お力添えを頂いた芸団協のみなさん、研修先の横浜能楽堂のみなさん

そして支えて見守っていてくれる家族。   ひとえに感謝の気持ちにつきます

 

「ありがとうございます。」

 

紅葉坂、少々しんどい坂ですが、その鼓動もまたドキドキという感動に!

秋という時節がら、文化の色めく横浜で、

伝統とひとをつなぐ『横浜能楽堂』、ほっこりしに来ませんか♥

『横浜能楽堂』 140年の能舞台に恋して

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研修生 沖縄おばあ

 

2013年12月21日 (土) 能楽関連

年々歳々…

「年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず」

毎年、年末になり、また一つ齢を重ねると

思うと、この言葉を思い出します。

 

初唐の詩人・劉廷芝の詩で、毎年、花は変わらぬ姿で咲くが、

それを見ている人間の方は、齢を重ねるごとに変わって行く、と

いった内容の詩です。

 

しみじみと人生の無常を感じさせます。

 

横浜能楽堂では、年を挟んで、「檜垣」と「恋重荷」が並びました。

「老」というものを違った角度から考えさせられます。

 

残名ながら「檜垣」は、もう終わってしまいましたが、

「恋重荷」は、まだ間に合います。

 

ぜひ紅葉坂を登って来てください。

それにしても、年々、坂のきつさが気になって来る私です。

(そっぷ)

 

恋重荷

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